瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

「孔雀船」91号 東京 (2018/01)

2018-02-04 22:01:01 | 詩集
望月苑巳の編集、発行で、120頁近い立派な詩誌。32人の詩作品が載っている。さらに、岩佐なをの銅版画、小柳玲子の絵画に関する連載エッセイ、映画評なども載っており、幅広い視野での紙面作りになっている。

しかしこの詩誌をもらって毎回最初に読むのは、望月苑巳の連載エッセイ「眠れぬ夜の百歌仙夢語り」である。自虐を交えた”マグロの女房殿”との掛け合いを挟みながら、古今東西の文学に関する蘊蓄話が展開される。面白い。

「夢のなか」中井ひさ子。
さすが、と唸ってしまった。わたしの夢のなかにだれかを忘れてきた。だれだろう? 思い当たる人への思いが、屈折していてほろ苦い。たとえば、夫は「いつも忘れている」。友なんて「まわりにだれもいない」。子どもは、向こうから「忘れられている」。そして最終部分は、

   ならばと
   新しい夢をみたら
   わたしが
   夢のなかに忘れられてしまった

   出られない

「ぽかりと穴が」福間明子。
心にあいてしまったのだが、うめかたがわからない。いや、うめてよいのかどうかもわからないのである。亡くなった母の口ぐせの「せんない」を「呪文にしてみると/風が通り抜けたようで悲しくなった」のである。感情の機微が可視化されて巧みにイメージとなっている。

   明日
   いっそう風穴にしてしまおうか
   花を摘んでうめてもいいかもしれない

「課題」坂田瑩子。
しめじを大きく育てるには、という課題が見知らぬ教室で出されているようなのだ。お母さんは白黒の世界で菜っ葉をきざんでおり、しめじについて尋ねても「少しイライラした声で誰か知らない子をよんで」いるだけなのだ。悪夢の世界であるのだが、それは毎晩くり返されるようなのだ。

   カーデガンがみつからず遅刻したために
   大事なことを聞き漏らしたのだろうか
   そして今晩も

瀬崎は「さとうきび畑で」を寄稿している。表紙に大きく名前まで載せてもらって、恐縮です。
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詩集「僕らの、「罪と/秘密」の金属でできた本」 小島きみ子 (2018/01) 私家版

2018-02-02 21:13:34 | 詩集
56頁に、連作のような形式で序詩とそれにつづく15編が収められている。表紙/扉の絵は小笠原鳥類。京谷裕彰の「潜在意識、あるいは創造性の源へ」と題した一文が巻末にある。

 シュルレアリスムについての仮称の手紙を序詩としての以下の15編(散文詩と行分け詩の形態が交互にあらわれる)は、夢を始めとする無意識から浮かび上がってきた言葉を核にして展開されているようだ。しかし、無意識は意識された瞬間に意識的なものへ変容してしまうという宿命を担っている。そのために、無意識の海に漂っていたものをどのような形で拾い上げ、取り出してくるか、そしてそれを意識の上でどのように有意義なものにつなげていくか、そこが大きな命題となる。

この詩集では叔父の遺書から始まり、キリスト教神話や仏教、日常の光景の中にあらわれる哲学などがうねっている。

   きょうは青い月夜ですから、向こうの宵闇へ行けたら行くのに行くことは叶わ
   ない。あなたは夕暮れのルビーオレンジの雲に乗って手を振る。(僕らは同じ
   一つの)空しさの中へ帰っていくしかなかった。・・・帰っていくしかなかった。
   空しさの尽きるところまで(僕らは別人同士)だったから。
                   (「7 (僕らは同じ一つの)」より最終部分)

 エートスは主体固有の理論へとつづいていく。そしてそれに陰影を与えつづけるのがパトスであるだろう。それこそエートスとパトスをどのように調和させるか。この詩集は、その両者が支え合うところのものを目指しているように思えた。

   (あなたと私の愛を愛する子どもたちは(あなたと私自身のスケッチ(表象と
   は(想像力と構想力によって像を作る(美的な極めて美的な(思考を棄てた戯
   れのスケッチという比喩です
           (「11 (Harb・Bの鉛筆で描かれたスケッチ)」より最終部分)


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