第3詩集か。97頁に17編を収める。
この詩集について何かを書こうとするときに、はたと手が止まってしまう。とても感想が書きにくいのだ。何かを見つめようとすると、それまでの視点が異なる方向へ誘うようなのだ。何が書かれているのか(何が書かれようとしたのか)がとても判りにくいのだ。
たとえば冒頭の「岸」では、ひとりの媼が皿をならべている。
火に押しやろうとしても
むこうですきまに指をはさみこみ
窓のない部屋に何日いられるか、
試す眼で見返す
不思議な展開をみせるのだが、ここには記載されていない必然性のようなものも感じられて、その判らなさが面白い。いろいろなことを想起させてくれる。この作品の後半のあたりは、
縦に掘れば見つかるかもしれないが
あまりの唐突な隠れかたに
枝という枝から 芽が吹き出していて
(記憶に時効は ないのだよ)
これらの記述に加えて、他の作品では行頭の高さはさまざまに揺れたりもする。そして話者に語りかけてくる声も挟み込まれてくる。詩集タイトルにもなっている作品「帰、去来」は5章からなり、これらのことが縦横無尽に展開される。
腕の中にぐったりとしているもの
(闇を一心にひきうけて
口呼吸しかできないでいるもの
(――置き去りにしていたのではなかった
記憶の毒をすいとってくれたいのちを
捉えようがないものを、それでもていねいに書きとめようとしているようだ。それは形にはならない感情の断片を拾い集めて、作者自身がどのような形になるのか、訝しみながら言葉をならべているようなことなのかもしれない。
この詩集について何かを書こうとするときに、はたと手が止まってしまう。とても感想が書きにくいのだ。何かを見つめようとすると、それまでの視点が異なる方向へ誘うようなのだ。何が書かれているのか(何が書かれようとしたのか)がとても判りにくいのだ。
たとえば冒頭の「岸」では、ひとりの媼が皿をならべている。
火に押しやろうとしても
むこうですきまに指をはさみこみ
窓のない部屋に何日いられるか、
試す眼で見返す
不思議な展開をみせるのだが、ここには記載されていない必然性のようなものも感じられて、その判らなさが面白い。いろいろなことを想起させてくれる。この作品の後半のあたりは、
縦に掘れば見つかるかもしれないが
あまりの唐突な隠れかたに
枝という枝から 芽が吹き出していて
(記憶に時効は ないのだよ)
これらの記述に加えて、他の作品では行頭の高さはさまざまに揺れたりもする。そして話者に語りかけてくる声も挟み込まれてくる。詩集タイトルにもなっている作品「帰、去来」は5章からなり、これらのことが縦横無尽に展開される。
腕の中にぐったりとしているもの
(闇を一心にひきうけて
口呼吸しかできないでいるもの
(――置き去りにしていたのではなかった
記憶の毒をすいとってくれたいのちを
捉えようがないものを、それでもていねいに書きとめようとしているようだ。それは形にはならない感情の断片を拾い集めて、作者自身がどのような形になるのか、訝しみながら言葉をならべているようなことなのかもしれない。
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