第5詩集か。101頁に21編の散文詩を収める。表紙カバーは詩集タイトルそのままに黒色1色で、そこに銀灰色の文字が浮かんでいる。
作品は重い。語られる言葉はどこまでも気持ちの中で淀んでいくようだ。たとえば「白い花」の冒頭部は、
ながい間、私たちにとって、それは死者の魂のために
ひらく花であった。けれども、あの人が死んで夏が来る
と、その白い大きな花びらそのものが、死者の魂である
と知らされる。冷たい夏が仮象のように事物を翳らせる
なか、白い花びらが夥しくひらいては、散る。
それこそ黒く粘ついたものが絡みついてくる。手足をもがかせるほどに、それはさらに絡みついてくる。手足が重くなる。言葉も重くなる。ここでは死者も生者も同じ立ち位置で光を浴び、冷たい霧の流れのなかで言葉を発している。「漂う私の行く手に」は「なおも白い花びらがひらき、散る」のだ。暗く重い故の凄惨な美しさがここにはある。
「もう少しで、忘れることができる、そう思えたのだ。」と始まる「海辺にて」。明け方の夢から眼醒ながら、誰かの名を呼んでいたらしいのだ。遙かな海辺から潮に濡れた生きものたちの匂いがとどき、
しっとりと汗に濡れてゆく皮膚の、微細な孔に取りつい
て離れない海辺の記憶。遠く幾層もの時を眼差すように、
私は貌を上げる。ふっと、眼前の女性が細い頤を引いて、
小さな会釈をした。
海辺を彷徨いながら求めていたものがやっと私の許に来たときには、「あれほど美しかったものは、こんなふうに汚れて」いたのだ。書けば書くほどに独りであることが確かめられて、絡みつくものはますます重くなってくるようだ。
作品は重い。語られる言葉はどこまでも気持ちの中で淀んでいくようだ。たとえば「白い花」の冒頭部は、
ながい間、私たちにとって、それは死者の魂のために
ひらく花であった。けれども、あの人が死んで夏が来る
と、その白い大きな花びらそのものが、死者の魂である
と知らされる。冷たい夏が仮象のように事物を翳らせる
なか、白い花びらが夥しくひらいては、散る。
それこそ黒く粘ついたものが絡みついてくる。手足をもがかせるほどに、それはさらに絡みついてくる。手足が重くなる。言葉も重くなる。ここでは死者も生者も同じ立ち位置で光を浴び、冷たい霧の流れのなかで言葉を発している。「漂う私の行く手に」は「なおも白い花びらがひらき、散る」のだ。暗く重い故の凄惨な美しさがここにはある。
「もう少しで、忘れることができる、そう思えたのだ。」と始まる「海辺にて」。明け方の夢から眼醒ながら、誰かの名を呼んでいたらしいのだ。遙かな海辺から潮に濡れた生きものたちの匂いがとどき、
しっとりと汗に濡れてゆく皮膚の、微細な孔に取りつい
て離れない海辺の記憶。遠く幾層もの時を眼差すように、
私は貌を上げる。ふっと、眼前の女性が細い頤を引いて、
小さな会釈をした。
海辺を彷徨いながら求めていたものがやっと私の許に来たときには、「あれほど美しかったものは、こんなふうに汚れて」いたのだ。書けば書くほどに独りであることが確かめられて、絡みつくものはますます重くなってくるようだ。
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