瀬崎祐の本棚

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詩集「源流のある町」 草間小鳥子 (2022/10) 七月堂

2022-10-16 12:00:45 | 詩集
第3詩集か。127頁に18編を収める。

巻頭のタイトル詩「源流のある町」は150行近い作品。鉢に水をやると、「土が水を吸うささめき/水が土を通るさざめき」があるのだ。ここはとても繊細で美しい。展開される町の一部として生きる「わたしたちにも川は流れて」いて、「切実で儚いものが流れてゆく」のだ。

   そつなくこなしたふりをして
   そうやってうそぶいて
   ひまわり
   なりたいものにいつまでもなれない
   わたしの文字列は潔くない
   ひまわり ひまわり
   ひまわり 鉄塔だ
   遠くにあるからおまえらより低い

外部世界とつながろうとして紡ぎ出すこの言葉感覚が心地よい。真剣なようでいて、どこか醒めた冷ややかさも感じられる。それがわたしの立ち方なのだろう。きみや姉はわたしの風景としてとらえられ、世界は水に潤されている。最終部分には「春だから 春だから 春だから/けだるい風」と、毅然とした潔さがある。

このように、作品を提示された者はいきなり状況の中に取り込まれる。何も説明されないままに、困惑しながらその作品世界を彷徨うこととなる。しかし、緊張感に満ちたその彷徨いは大変に魅力的なのだ。

「開墾地」。私(瀬崎)は”開墾地”という言葉からは、人々の喧噪から遠く離れて何かから変容した地を想起する。そこは、隠されたもの、失わされたものが堆積しているような場所ではないだろうか。この作品の地にも「やがて仕舞われてゆく墓/草の伸びる緑地/洗われない毒」があるのだ。話者はそこに立って茫漠たるものを受け取っているのだが、最終連の力強さが見事だった。

   水脈は絶たれたまま
   崩れた盛り土から
   息を吹き返した羽虫が飛び立つ
   風向きは変わる
   気まぐれに
   ときに大胆な意思で

集中には「役に立たないものについて」、「ハセガワマートの爆発」という2編の長めの散文詩がある。掌編小説のような物語を孕んでいて、その巧みな語りに身を任せて黒澤さんや今川さんのいる町を彷徨うのは楽しいことだった。

生きるものがあるところ、そこにはいつも水の流れがある。この詩集では、収められたどの作品の根底をもうるおすように、静かに水が流れていた。
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