瀬崎祐の本棚

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詩集「海のほつれ」 神田さよ (2020/05) 思潮社

2020-05-20 21:59:13 | 詩集
第6詩集か。111頁に端正な作品32編を収める。
「奏でる壺」は、「壺になって/海の底に没(しず)ん」だわたしのモノローグである。わたしは潮のながれに揺さぶられ、かって聞いたことのある震える声が響いてくる。そこはまるで、わたしが辿り着いた終の棲家でもあるようだ。最終連は、

   死者たちの声で
   ざらざらの表面は膨らんできた
   深淵の潮流にのせて
   わたしはひび割れた音を
   鳴らし続けている

 ここへやって来るまでには幾多の選び取るものがあったのだろう。そして、その最後の刻まで自らの内に何かを溜めて、そこから発するものを失わずにいるのだろう。
 次に置かれた「午後の部屋」にも、容器からこぼれはじめていた水がある。午睡はどこか荘重な儀式のようで、永遠に続くような静けさが広がっていた。

 阪神大震災を体験した作者は、前詩集では東日本大震災を詩っていた。社会に寄りそった意識が常に作者の根底にはある。本詩集でも「風のそよぎが」「村の春」では原発事故による放射能汚染に、また「海のほつれ」「波打ち際」では沖縄の埋め立て問題に、鋭くも悲しげな視線を向けている。

 「あの日は雨だったか」。夜更けの壁のむこうから「床をゆっくり踏むような/不愉快な不明さ」のある音が聞こえてくる。それは、隣の部屋に異世界のものが訪れているような気配なのかもしれない。朝になって、

   連続音が聞こえた部屋はドアーが開いてだれもいない
   古びた編み上げ軍靴が揃えておいてある
   黄色い泥がこびりついているゲートルが
   床にだらんと落ちている
   あの日は雨だったか

 時空を越えて尋ねてきた人がいたのだろう。おそらく作者には戦死した親しかった人がいたのだろう。何を伝えるためだったのだろうか。

 散文詩の「一つ星レストラン」「奇妙なホテル」「森の過失」は怪異譚のように物語が展開する。作者の抱える世界の奥行きの深さを感じた。
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