瀬崎祐の本棚

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詩誌「交野が原」  95号  (2023/09) 大阪

2023-08-23 11:49:20 | 「か行」で始まる詩誌
金堀則夫編集・発行の充実した個人誌。今号には29編の詩作品、3編の評論・エッセイ、それに13編の書評を載せている。

八木忠栄「窓から見える」。タイトル通りに話者は見えているものを描き、そのことによって世界と繋がろうとしているようだ。赤い欄干の橋は「朝から/調子っぱずれで歌うらしい」し、そこを女たちの手荷物が「ぞろぞろわたってくる」のだ。窓から話者は叫んだりもする。

   気をつけろ!
   もの陰から赤児を攫おうと
   おっさんが狙っている

話者にはふてぶてしさもあり、反骨精神も健在だ。騒いでいるテレビ画面に向かってうそぶく、「知りもしない/知りゃあしない」。通快である。

野木京子「葉裏の移動、どこか違う人の」。小さな蝸牛を見つけた話者は、彼の見る世界に思いをはせる。果てなぞ判らないのだから、「蝸牛もわたしも/進んでいくしかない」のだ。

   ときどき(夜とかに)
   からっぽの舟になる
   内耳の蝸牛で鳴っている音楽は
   ナユタの粒が触れあって
   重なっている音波で
   ひとは死んだときに耳を澄ましている

蝸牛から耳奥の耳小骨へ、そしてそれが聴く音楽からふたたび細やかな歩みへと。最終部分は「波の粒は/さなさな微細な音を立てたあと/どこかの違うひとのところへ/移動していく」イメージの連鎖、重なり合いが美しい。

中本道代「酒乱一族」。作品は、話者のふるさとにいた一族の顛末から始まる。酔っ払った男はトラックの荷台から落ちて死に、その妻は年取ってから酔っ払いになり、息子たちも酔っ払って愚行をした。小さな集落にも「貧しさの恥があった」という。そして酔っ払いにはならなかった娘は中学に入ると話者に英語を教えてくれたのだ。淡々と描かれる一族の物語が話者を色濃く包んでいる。生き生きとしている。最終連は、

   川が流れていた
   大川と呼ばれていたが
   本当は小さな川だった
   冷たい水が縺れあって
   遠い海原を目指して流れ続けていた

話者もそのふるさとから海原へと出てきたのだな。
コメント
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