瀬崎祐の本棚

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詩集「彙戯 igi」 徳弘康代 (2023/03) 金雀枝舎

2023-04-05 10:20:19 | 詩集
第5詩集。99頁に24編を収める。詩集タイトルは作者の造語で、”彙”という漢字がハリネズミをかたどった象形文字から来ていることから、「ハリネズミの針のような語彙の戯れ」という意味とのこと。

「Iクリニックのこと」は、かつて伊勢佐木町にあったクリニックを詩っている。ニュースでも取り上げられていたが、そこは中絶胎児をごみ処分したことから廃院となってしまった。しかし、そのクリニックは在留外国人や夜の街の女性たちには必要な場所だったのだ。事象から得たもの、あるいは得ようとしたものを自分に取り込むための過程を、そのまま言葉で展開して見せてくれている。なので、大変にリアルで緊張感もある。スリリングですらある。

「かぐや姫は今年も咲かない」。”かぐや姫”というのは超大輪の芍薬の名前。しかし巨大な蕾をつけた花が毎年開かないまま終わるので、花びらをひらいてみる。すると、多すぎる花びらが畳まれ方を間違っていて開花できなくなっていたのだ。

 別の蕾も剥がしてみる
 同じところで喰い込み
 超大輪の夢を詰め込んだ花びらの玉は
 詰め込みすぎて
 自分でひらくことができない

作品を読んでいる者は、無論その花ばかりにではない状況を思い知らされている。巧みである。それでどうなるのかといえば、「無理やりひらいた蕾は」「遠目には咲いているように見え」「そのまま色褪せて花の季節が終わる」。作品タイトルからも判るように、作者はそこになんの感情も交えずに淡々と作品を終えていく。それによってかえって強く伝えてくるものがある。

この島国に夏休みの朝が来ることを詩った「ラジオ体操」や、横浜の商店街などでときどき見かけたおばあさんを詩った「しあわせおばあさん」も、静かな語り口でありながら豊かな物語を孕んでいた。

詩集後半には今はもういない父母が詩われているのだが、どれも切なくもどこかほほえましい作品ばかりである。「会話」は、18歳だった作者にソ連から父がよこした古い絵はがきのことが書かれている。大学生の娘へのとりとめのない助言、母への愛情の吐露、などなど。父の優しさがにじんでいる内容である。その母は今では火が使えなくなり、「私には見えない人たちといっしょに/広いテーブルで」食事をとっている。最終部分は、

 お母さんちょっとこわれたみたい
 どうしよう お父さん 助けてよ と
 つぶやいてみる すると 間髪をいれず
 「だからおまえがいるんだろう」と むかいの椅子から
 父の声がした


コメント
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