瀬崎祐の本棚

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詩集「出会う日」 唐作桂子 (2022/10) 左右社

2022-11-18 20:08:19 | 詩集
第3詩集か。84頁に19編を収める。

日常のどこにでもあるような光景が言葉で捉えられて、ここだけの作品世界に変容している。たとえば、「朝の手順」は再開発が進んでいる駅前の喫茶店の、何気ない朝の光景である。店主はモーニング・サービスのトーストを焼き、バタを塗っている。

   窓ぎわの席に角砂糖がつみあがり
   地響きによってほんのわずかずつ
   ずれていく
   ふるい朝刊のむこう側

   別珍張りの椅子の
   擦り切れたところをなでている
   ほかに行く場所がない常連客の
   杖がすべりやすい

こうして言葉で選び取られて記録されることによって、その光景は、時間のなかに消え去ることなく、いつまでも留められるものになった。言葉の持つ力は素晴らしいと思わされる。

「青猫はうなる」は、意味を求めようとすると呆気にとられる作品である。最終バスは行ってしまったのか、それともまだなのか。そんな焦燥感があって、うなる青猫は剥製なのである。

   墓地のあいだにわたしたちは
   かろうじて住んでいる
   気流がかわると
   空白が散乱しはじめ、

「来るもの」は、2行ずつの5連が3組集まった作品。午すぎなのに空がくらくなり、何かがおとたてて来るのだ。個人の連絡手段は途切れ途切れで、代わりに何かが来るのだ。世界の規律も崩れはじめていくようなのだ。

   手紙は書かれるだろう
   むしろ大半はあてどなく

   あすのおおよその南中時刻
   確率的に空はあかるい

1連が2行で終わるために、文字並びの見た目はとても軽い。表出されるものも短く途切れているために、跳んでいくような趣もある。しかし、そこに孕まれているものは存外に重く、現実の社会不安を背後に抱えながら、オカルトのような非現実感もともなっている。あすの正午近く、やって来るものは話者を明るくしてくれるようなものだろうか。

詩集表紙カバーの、水族館で魚の群れを見ている男の子の後ろ姿のシルエットが好いなあ。
コメント
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