瀬崎祐の本棚

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兆  170号  (2016/05)  高知

2016-05-29 21:17:11 | 「か行」で始まる詩誌
「瓢箪」小松弘愛。
 11連からなる散文詩だが、作品の中では話者の意識が自由闊達にうねっている。永井路子の女帝元正の小説を読みかけて、ふと書棚にぶら下がっている瓢箪を眺める。20年前に霊水を満たした瓢箪で、その横にはピエロの人形がぶら下がっている。また女帝元正のことを思い、やおら書棚の美術書で如拙の水墨画「瓢鮎図」を眺めている。このように飄々と意識が散歩をしている。どこまでも自由である。最終部分は、

   ところで、わたしに親しいのは、子供のとき竹藪に沿って流れる川
   に入り、ぬるぬるのナマズを手づかみにしたことである。

 「新しい季節」林嗣夫。
 落葉の中から袋状のものが出てきた。ひっくり返すとか細い手と足がたたまれている小さな蛙だったのだ。そのあまりの無防備な姿に話者は呟いている、

   自分を愛してくれるものの手を
   信じきっているかのように
   いや 愛そのものであるかのように

 それは赤子の無防備さにも通じるものであるだろう。話者は「この秘密の場所から/新しい季節が始まる」と感じている。大いなる自然の営みであるわけだ。

 「笑顔」清竹こう。
 昭太郎君のことが書かれている。高校生のときに家出をしたこともある彼は豆腐屋の後を継ぎ、食中毒を起こして自殺するのではないかと噂され、周りの反対を押し切ってかなり年上の女性と結婚し、

   昭太郎君は豆腐を油揚げを野こえ山こえ配達し
   最後に椿・笑顔の一枝を役場に届け
   毎朝 届けつづけ一人の娘が遺された さみどり薫るあどけない

 そして、昭太郎君は「亡き妻を想う」という詩集を出した。作品は叙事詩風に書かれているが、ここには昭太郎君の人生を暖かく眺めている話者がいる。読んでいる者も暖かく昭太郎君のことを思うことができる。
コメント
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