瀬崎祐の本棚

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詩集「さくら館へ」  森やすこ  (2013/04)  思潮社

2013-05-26 22:01:56 | 詩集
 第3詩集。102頁に23編を収める。
 前詩集「おお大変」もそうだったが、森の作品には妙な脱力感がある。そこには他人には理解不可能な、きまじめな本人だけが必死になっている事柄がある。傍目には、なぜそれほど必死になっているのかが判らなくて、妙に脱力してしまうのである。.しかし、それはとても面白い脱力感なのだ。
 「さくら さくら 桜山」では、皆が花見に繰り出している。すると、「この騒ぎ なにごとか」と祖母は薙刀を抱えてお社のくらやみから出てくるし、割烹着の母も大泣きしている弟も論語よみ論語しらずの父もあらわれる。

   愛と憎しみの果てに桜は終わった
   小石になって生きることにした
   小石になって生きることの喜び
   神もほとけも子守唄も要らない
   ただひとつ小石になる夢
   だれにも邪魔されない夢
   ひとつの形容詞も要らない夢
   希望も絶望も喜びも悲しみも要らない
   こうして ことしの桜 見終わる

 ひとときの栄華である桜が喜怒哀楽のすべてを奪って散っていったようだ。華やかな大騒ぎのあとの虚脱感そのものであるのだが、そこから続く説明無用の決意がなんとも面白い。
 「見る 見た 走った」では白ねこや黄ねこ、黒ねこがあらわれ、父や母や弟の夢に私はあらわれている。このように、この詩集では、亡くなった人たちばかりが私を取り囲んでいる。脳天気なようでいながら、どこかが切ないのはそのためだろうか。
 ”哀しい町”であるO町についての作品「O町へ」の感想は詩誌発表時に書いた。
コメント
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