昨年の詩集「谷間の百合」に続く第2詩集。126頁に28編を収める。
淡々と覚めているような表現なのだが、言い過ぎていない奥に味わいが隠されている。在日として自分のルーツを問い直す詩編、邪心のない孫との交流から生を見つめる詩編などが、意外に大きなうねりを持って差し出されてくる。
「区境まで」は、偶然に子ども時代の知り合いを見かける作品。「おまえすっかり曝ばえたなぁ」と内心で思いながら昔の家業のことを何気なく尋ねてみるが、男は無言で小さく首を振るばかりなのだ。でもやはり「あれはぜったいに」志村青果店の志村なのだ。
さようなら枯葉よ
さようならきょうの落日よ
拙者は急ぐ
区境までの道を急ぐ
区境の病院でたらちねの母が
降り積もる落葉(らくよう)の中で眠っている
いつまでも
三年二組にいた男をかまっていられない
わざとらしい大げさな物言いに飄々としたユーモアがあるのだが、その陰には折り重なる年月の重さと、母を見舞う今の自分への感慨がある。
「島翳」は「北から砲弾がとんで」くる情景が詩われた作品。必死に逃げようとする話者は皆に危険を告げるのだが、皆には日常生活が絡みついていて、閨房ごとに余念がなかったり、貝や蟹を焼いたりしている。悪夢のように現実感が乏しく、それゆえにかえって奇妙な恐ろしさが際立っている。本当の恐ろしさはこういう感じで迫ってくるのだろうと思わされる。
淡々と覚めているような表現なのだが、言い過ぎていない奥に味わいが隠されている。在日として自分のルーツを問い直す詩編、邪心のない孫との交流から生を見つめる詩編などが、意外に大きなうねりを持って差し出されてくる。
「区境まで」は、偶然に子ども時代の知り合いを見かける作品。「おまえすっかり曝ばえたなぁ」と内心で思いながら昔の家業のことを何気なく尋ねてみるが、男は無言で小さく首を振るばかりなのだ。でもやはり「あれはぜったいに」志村青果店の志村なのだ。
さようなら枯葉よ
さようならきょうの落日よ
拙者は急ぐ
区境までの道を急ぐ
区境の病院でたらちねの母が
降り積もる落葉(らくよう)の中で眠っている
いつまでも
三年二組にいた男をかまっていられない
わざとらしい大げさな物言いに飄々としたユーモアがあるのだが、その陰には折り重なる年月の重さと、母を見舞う今の自分への感慨がある。
「島翳」は「北から砲弾がとんで」くる情景が詩われた作品。必死に逃げようとする話者は皆に危険を告げるのだが、皆には日常生活が絡みついていて、閨房ごとに余念がなかったり、貝や蟹を焼いたりしている。悪夢のように現実感が乏しく、それゆえにかえって奇妙な恐ろしさが際立っている。本当の恐ろしさはこういう感じで迫ってくるのだろうと思わされる。