瀬崎祐の本棚

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詩集「闇風呂」  細見和之  (2013/05)  澪標

2013-05-17 16:56:51 | 詩集
 第6詩集。93頁に30編を収める。
 前詩集「家族の午後」は家族と自分の関わり、そして家族と一体となった自分と世間との関わりにこだわりつづけていた詩集だった。今回の詩集は詩集タイトル作にもあらわれているように、家族と一緒に温かい風呂に入っているはずなのに何も周りが見えないような状況を描いている。状況は重いものなのだが、あくまでも作者独特の軽い口調でさしだされてくる。
 「鴨川」は、川べりの茶店から自分の死体がゆっくりと流れていくのをながめている作品。

   あのときの傷口はさっくりと開いたままだ
   流れて行ったね
   流れて行っちゃったね
   とつぶやきながら
   俺はうどんをすすっていた
   俺はうどんをすすっていた

 自分にとっての一大事であるはずなのに、他人事のように突き放して状況に対峙している。一種の諦観ともとれるが、それ以上に、静かに甘受している自分の生き様の淋しさのようなものが読み手にしみこんでくる
 「ちゃらんぽらんな生涯」では、口論となった妻が言った「あんたがちゃらんぽらんやから!」を幼い娘が真似をして「チャンポラパン!」と囃し立てる。作者はいささか自虐気味に自分がたしかにちゃらんぽらんに生きてきたと思い返す。

   おれがくたばったときにも
   娘を先頭に
   葬列は進んでゆけばいい
   チャンポラパン!
   チャンポラパン!
   淋しく陽気に

 ここでも自分の人生を突き放して眺めているのだが、その人生そのものが”淋しく陽気”だったわけだ。”ちゃんぽらぱん”という言葉が印象的で、いつまでも耳に残る。
コメント
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