「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

寂 石原プロ、石原軍団解散、権利・遺産管理会社のみの業務へ

2020-07-17 20:13:23 | 当直室日記
小職は慢性の石原プロ(石原プロモーション)や石原軍団の支持者ではありませんが、しかし、それでも、寂しい。
とは言いながらも、石原プロ作品は嫌いなものが無いので、まんざらでもないのは確かなのですが。

悲しいとか、悔しいとか、そういう事ではなく、只々、寂しい。

昨年の裕次郎さんご命日時の「弔い上げ」から、薄々は今回の結果となることは、みなさんお感じになっていたと思います。

生き馬の目を抜くかの如くの芸能界の中で58年。映画界の5社協定を破り、間接的にテレビドラマを映画のクオリティに近づけることができたのも石原プロの活動が切っ掛けとなったこと大きいでしょうし、自分たちの造った作品を、どうやってアピール・展開すればお金になるかということを実践した実績もあります。映画職人たちの会社でありながら、会社事業としても抜け目なく展開した・・・という、日本の芸能界の中では希有の存在であったことは確かだと思います。それは、本当に資金が枯渇し、裕次郎さんが「外貨」を稼ぐために参加した我らが『太陽にほえろ!』での成功があったからこそ、お金を生むことも大切だし、それを使うことも大切という事を身に沁みて思ったからじゃないかと思います。きれいごとばかりの歴史でもなかったことも重々承知していますし、表もあれば裏もあるという、まさに会社事業ではなかったかと思います。
ただ、内部的なことについては色々あったようですが、客先やゲスト、そしてファンには非常にもてなしの心を持った会社であったのではないかと思います。現実に個人的に印象深いのは「石原裕次郎記念館」開園辺りでは小職も太陽ロス状態を助けてもらった思いはあります。
小樽に記念館とマイカル西部警察を作ってくれたのには、泣きましたね・・・。

裕次郎さんは実業家の側面の方が強かったというのも、太陽のボスを観ているといつもそう思います。
ボスの魅力は実は、「ひょっとすると現実に居るかもしれない」というリアリティを醸し出すところなんですよね。
それは決して貪欲でもなく、高圧的でもなく、スマートそのもの。
裕次郎さんはよく、「昭和の人」と敬称されますが、小職は今でも十分通用する人物像であると思っています。

そういう裕次郎さんイズムがあったからこそ、令和まで石原プロは「活き続けた」のではないかと・・・。

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とりあえず、書く。2020-7-17

2020-07-17 06:44:10 | 当直室日記
やっぱり、#35の「衝撃のテーマ」使用は「衝撃」だなぁ・・・・と今更思うけぶでございます<(_ _)>
ドラムソロが堪らんです。

あの場面を観ると、無性に東京へ行きたくなるのは何故なのか・・・羽田空港だからかなぁ。。。。

裕次郎さんのご命日。
石原プロ解散が「決定」したような報道なのですが、小職はまき子さんのコメントを待とうかと思っています。

それにしても、昔も今も、太陽が石原プロ制作と認識違いをしている人が多い(^_^;)
確かに、裕次郎さん=石原プロという強烈な認識であれば、裕次郎さんが関わっているもの全てが石原プロ制作であるというイメージはあると思いますが、メディアがやっちゃだめだなぁぁ・・・(^_^;)
ただ、その強烈なイメージは結構一般化しているところはあるので。

▼40系セリカST-LB 「67-94」
この前ツイッターでちょっと話題となっていましたが。
七曲署覆面車の中では長寿な方なので、印象深い人も多いですが、長寿ということは、トヨタに返還してももう価値評価が低くなってしまう車両が多かったようで、「67-94」もそのおかげで長寿となったようです。
それにしても、当時珍しい色だったワインレッドのメタリック車が他作品には出ていたんだなぁ・・・。
『七人の刑事』の事故者は、放送当時の新車で、それを破壊したことを太陽への対抗心丸出しに「壊した」ことを「番宣」した記事がありましたが、このクルマ・・・太陽版のSTは40系発売から1年後の一部改良でGT系のハニカムグリルに変更される前に貴重な個体で、七刑のものは、STの上級グレードをわざわざ採用したという逸話が・・・。



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