隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

街歩き 第120回 『「徳川慶喜終焉の地」と「切支丹屋敷跡」』

2021年08月07日 | まち歩き

隊長の地元:東京都文京区内や近隣を散策する「街歩き」シリーズの第120回は、『徳川慶喜(よしのぶ)終焉の地切支丹屋敷跡』を、お送りします。

 

 


文京区春日地区にある「徳川慶喜終焉の地」と、小日向地区の「切支丹屋敷跡」に、本郷の自宅から徒歩で行ってきました。


文京区には、第15代将軍・徳川慶喜が生誕した水戸藩の上屋敷(現・小石川後楽園) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/085e5dae722af6a8ec88c994c5c592ba があります。


また、最晩年を過ごし亡くなった屋敷の跡地もあります。「小石川後楽園」は、何度も訪れていますが、今回、初めて終焉の地を訪ねました。行こうと思い立ったきっかけは、現在放送中のNHK 大河ドラマ『青天を衝け』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/077baa8a2c35892c6a42aa3777e38c7c で、再び慶喜が脚光を浴びているからです。


本郷の自宅を出発し、「春日通り」を茗荷谷方面に進みます。「隊長のブログ」で、何度も取り上げていますが、「春日通り」の名は、第3代将軍・徳川家光の乳母「春日局」https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/88bfa33749343352001046ef36c04a53 に、由来します。


都バス「春日二丁目バス停」を過ぎ、左に曲がり、「今井坂(別名:新坂)」を下ります。近くには、オレンジピールチョコレートで有名な『LITZ(リスト)』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ad71912342c41d924828f2269924e98f があります。


自宅を出発して、約20分。「東京メトロ丸ノ内線」の陸橋を超えると、

 


右手に、文京区教育委員会が設置した「徳川慶喜終焉の地」の説明板がありました。丁度、下の線路を、池袋駅に向かう丸ノ内線の新型車両「2000系」https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/2873db1947275c7224e3adc6e29e6c7d が、通過して行きました。

 


説明板が設置されているのは、「国際仏教学大学院大」の北門脇です。

 

 

慶喜は、江戸城開城の後、水戸にて謹慎の後、駿府(すんぷ)に隠棲(いんせい)しました。明治30年(1897)東京に戻り、同34年(1901)、出生地の旧水戸屋敷に近いこの地に移り住みました。晩年をこの屋敷で過ごし、大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で亡くなりました。

 


新坂を下り切り、

 

 

「巻石通り」を、右に曲がると、「国際仏教学大学院大」の正門です。キャンパス内には、屋敷にあった大きなイチョウの木が当時のまま残っているそうですが、コロナ禍では、教職員・学生以外構内に入るのは難しいでしょうね。

 

 


今度は、「切支丹屋敷跡」を目指し「荒木坂」を上がります。「切支丹屋敷跡」を訪れたいと思ったのは、遠藤周作原作の映画『沈黙 -サイレンス-』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/6e93199062e948a5cc81dc9576d40d5e を、観てからです。


「称名寺」の横を「小日向大地」に向かう「荒木坂」は、かなりの急坂です。坂を上り切った辺りで、「切支丹坂」と合流。丸ノ内線の南側に位置する小日向地区には、閑静な住宅街が広がっています。


少し分かりづらかったですが、住宅街の一角に「切支丹屋敷跡」の石碑を発見。「巻石通り」から、ここまで、7~8分でしたが、急坂だったので、かなり息が切れました。

 


右側の背の高い四角の石碑には、「都旧跡 切支丹屋敷跡」の文字が彫られています。

 


左側の低い石碑は、かなり古いのでしょう。文字が判別できません。

 


こちらには、東京都教育委員会の説明板があります。

 


キリシタン屋敷は正保3年(1646)に宗門改役井上筑後守政重下屋敷に建てられた転びバテレンの収容所です。江戸幕府はキリスト教を禁止し、多くのキリシタンを処刑していましたが、島原の乱をへて、転ばせたバテレンを収容し閉じ込める施設として新しく造ったものです。牢屋と長屋があり、この中では一応無事な生活が許されていました。幕府がバテレンの知識を吸収する場にも利用されました。

 

最後の潜入バテレンとなるシドッティ(シドッチ)もここに収容され新井白石の尋問を受けています。シドッティ後は収監者も無く、享保9年(1724)焼失し、以降再建されず、寛政4年(1792)に屋敷は廃止されました。


帰りは、その名も珍しい「蛙坂 (かえるざか)」を下り、「深光寺 (じんこうじ)」 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/665edd886b1250f1b6d36a83f17992e5 横を通り、東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」に出ました。切支丹屋敷跡からは、約10分。同駅から帰宅しました。

 

 


==「街歩き」バックナンバー==
http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/c/c2c437caab6ac1e2be19246ef261eea9

第1回~110回  省略

第111回 2021/1/27 『御朱印巡り「寛永寺根本中堂」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/7c7931580f2a9a64f3ab891cf674221e

第112回 2021/2/4  『御朱印巡り「寛永寺開山堂」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/7273fc604c85b9078ff3e3562b0e31cd

第113回 2021/3/7  『日本100名城巡り「江戸城」』(その1) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/ff85ea4a7fd1f96f278466f26e39b947

第113回 2021/3/9  『日本100名城巡り「江戸城」』(その2) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/4646639176823019f301d03026983cd7

第114回 2021/3/8  『御朱印巡り「不忍池辯天堂」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/061f6c3d36ab85344d18bf5cacedcefd

第115回 2021/3/24 『御朱印巡り「清水観音堂」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/593fdab095d31a582c0e7f200adbb667

第116回 2021/3/31 『御朱印巡り「上野東照宮」』(その1)https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/6eb045784c6a2b154046b4a39f5ff634

第116回 2021/4/4  『御朱印巡り「上野東照宮」』(その2)https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/3f047bbbadca4c9f3223559a23a6318a

第117回 2021/4/20 『上野東照宮 第42回 春のぼたん祭』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/768227ac641fa43d25d389c875b83d5c

第118回 2021/4/29 『御朱印巡り「上野大仏」』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/69f06f1f5988091c98f2bf7b14a09901

第119回 2021/7/10 『「常盤橋」修復完了』 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/6adb9442428dd533628ca510160eab86

 


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