たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

二人の鉄神

2019-07-16 09:33:46 | 鉄の神々2

<日高町・気多神社 けたじんじゃ>

 

『播磨国風土記』の中でも

よく知られた物語のひとつ、

アシハラシコヲ(オオナムチ)と

アメノヒボコの国占めの話において、

アメノヒボコが投げた3本の黒葛は、

すべて但馬国の出石地方に落ちたといいます。

この結果、アメノヒボコの領土は

但馬国の出石地方のみに限られ、

アシハラシコヲは出石以外の

産鉄地を手に入れました。

 

一説に「鉄の利権争い」が

絡むとされるこれらの逸話は、

アシハラシコヲの勢力が、およそ8千人とも

目されるアメノヒボコの一群を跳ね返すほど、

強大だった証拠にもなり得るのでしょう。

 

一方、『日本書紀』の記述によりますと、

アメノヒボコは天皇から

「播磨国の宍粟村と淡路国の出浅村」

の支配を許可されたにも関わらず、

「気に入った土地を探したい」と申し出て、

最終的にこの但馬の地を住処に選んだと聞きます。

 

争いの結果仕方なく出石を選んだのか、

それとも確固たる意思を持って

出石を選んだのかはわかりませんが、

いずれにせよアメノヒボコと出石地方との

水面下でのつながりが気になるところですね。


黒葛と気多

2019-07-15 09:28:38 | 鉄の神々2

<日高町・気多神社 けたじんじゃ>

 

新温泉町から再び内陸部へと移動し、

豊岡市内に入ってまず訪れたのが、

『播磨国風土記』の黒葛の件に

登場する「気多神社」です。

 

こちらは、アシハラシコヲ(オオナムチ)と

アメノヒボコが国占めをした際、

アシハラシコヲの投げた

黒葛のひとつが落ちたとの伝承が残る土地で、

また「気多」という名称が示すように、

能登国一の宮・気多大社との関連を

うかがわせる場所でもあります。

 

かつては但馬総社と呼ばれる

立派なお宮だったそうですが、

現在は当時の隆盛を想像させるものはなく、

国道わきの田んぼの中に鎮座する

「村の氏神」といった雰囲気の神社でした。

 

ちなみに、気多と名の付く神社は、

羽咋市を中心とする日本海沿岸に点在しており、

いずれも大国主命(オオナムチ)の

遠征ルートと関わるといわれます。

 

ここ兵庫県においても、

アシハラシコヲの投げた他の二つの黒葛は、

ひとつが但馬国の養父神社のあたり、

もうひとつが播磨国宍粟郡の

御形神社のあたりに落ちたとのことですから、

当時アシハラシコヲの勢力が

かなり広範囲に広がっていたことがわかるでしょう。


ある朝のひとコマ

2019-07-14 09:24:36 | 鉄の神々2

<宇都野神社 うつのじんじゃ>

 

今回、なぜ新温泉町浜坂にある

宇都野神社を訪ねたのかと申しますと、

それは「麒麟獅子舞」の銅像が

置かれているという噂を聞いたからでした。

しかしながら、さほど広くない

境内のあちこちを探し回っても、

それらしき建造物は見当たらず……。

どうしたものかと途方に暮れていると、

たまたま鳥居のそばにいたご近所さんの姿が目に留まり、

銅像のありかを訪ねてみることにしたのです。

 

その女性は「麒麟獅子の像……」としばし考え込んだのちに、

「確かにあったとは思うけれど……」と言いながら、

同じように境内をぐるぐると探し歩いてくれたものの、

やはり見つけ出すことができず……。

朝もやに包まれた静かな宇都野神社の境内で、

2人でしばらく思案すること数十秒、

ふいにその女性が背後を振り向き

「あ、これだ」と指さした先には、

想像よりもかなり立派な

麒麟獅子の銅像が鎮座していたのでした。

 

「長年神社に通っているけど、

見ているようで見ていないのよね」と、

女性も苦笑いしていましたが、

これほど大きな「目的物」を見逃すとは、

人間の目がいかに「大事なものを見ていないか」

ということを証明しているように感じます。

近所の女性にお礼を言い、

改めて麒麟獅子の銅像を見上げながら、

「曇りのない目で世の中を見ること」の大切さを、

肝に銘じた晩秋の朝のひとコマでございました。


宇都野神社

2019-07-13 09:19:25 | 鉄の神々2

<宇都野神社 うつのじんじゃ>

 

美方郡新温泉町浜坂に鎮座する

宇都野神社(うつのじんじゃ)は、

但馬三大祭りのひとつ

「川下(かわすそ)祭り」が行われる神社です。

毎年7月中旬の3日間にわたり催行されるこの祭典では、

先日から記事にしている麒麟獅子舞が奉納され、

町内全体がお祭りムードで一色になるのだとか……。

 

ちなみに、川下祭りは江戸時代の中期ごろ、

京都八坂神社の祇園祭にちなんで始まった行事で、

数ある村々の中でも浜坂集落は、

最も盛んに麒麟獅子舞を舞っていた地区だと聞きます。

 

現在、大国主命をご祭神とする宇都野神社は、

古くは牛頭天王社という名称で呼ばれており、

またスサノオを祀っていた時期もあるとのこと。

牛頭天皇といえば、大きな体躯に牛の頭、

そして赤い角といった、特徴的な容姿が

思い浮かびますが、実は兵庫県は、

牛頭天王を祀る神社が最も多い都道府県だそうです。

 

「大型」「牛」「赤」「角」などの

キーワードを目にしますと、どことなく

麒麟獅子のイメージと重なってまいりますね。

果たして両者の間に秘められた接点はあるのでしょうか……。


神の気配

2019-07-12 09:12:19 | 鉄の神々2

<穴見海岸展望所>

 

***** 鉄の神々4但馬・ヒボコ *****

翌日、日の出前にホテルを出発し向かったのは、

日本海沿いの港町にある神社です。

しかしながら、右も左もわからない未踏の土地を、

まだ夜も明けきらぬ暗闇の中、

手探りで車を走らせるというのは、

なかなかに緊張感を伴うひとときでして、

この日も唯一の水先案内人である、

ナビの灯りだけを頼りにハンドルを握っているうちに、

いつの間にか予定にはなかった

高速道路に乗っていた模様……。気が付けば目の前には、

まるで藤城清治が創り出す影絵の世界のように、

薄桃色に染まった空とモノトーンのグラデーションが

印象的な朝の日本海が広がっていました。

 

普段、慌ただしく日常生活を送っておりますと、

朝日の輝きや夕暮れ時の空の色、

風のそよぐ音や雨が降り出す前の独特の湿気……等々、

ちょっとした景色の変化などつい見逃してしまうもの。

ただし、ひとたび旅に出た瞬間、

こうした何気ない自然の色合いが、

「今だけしか見られない貴重な一瞬」だと気付きます。

大げさではなく、「この景色を見るためにここに来た」と、

実感するひとコマが幾度となく用意されているのですね。

特に日本という国には、ただ美しいだけの場所は存在せず、

その中に「神の気配」を感じられる

稀有な国柄なのだとつくづく思います。

 

【このシリーズの参考書籍・文献・サイト】

古代の鉄と神々 ~真弓常忠

風土記からみる古代播磨 ~坂江渉 他

民族・地名そして日本 ~谷川健一

青銅の神の足跡 ~谷川健一

鹿と鳥の文化史 ~平林章仁

海峡を往還する神々 ~関裕二

全国一の宮徹底ガイド ~恵美嘉樹

『御霊神』の誕生 ~伊藤信博

たじまネット風土記


麒麟獅子

2019-07-11 09:35:21 | 鉄の神々2

<宇倍神社 うべじんじゃ>

 

鳥取県東部(因幡国)と

兵庫県北但西部(但馬国)には、

「麒麟獅子(きりんじし)舞」という

この地独特の伝統芸能が伝わり、

該当地域の祭礼行事などで盛んに舞われています。

何でも、この地を治めていた鳥取藩主・池田光仲が、

徳川家との強いつながりを示すため、

「麒麟」をシンボルとする獅子舞を考案したことが、

この唯一無二の舞が誕生した発端なのだとか……。

 

麒麟獅子の古式が受け継がれる

因幡国一の宮・宇倍神社には、

代々のお祭りで用いられたと思われる、

使い込まれた獅子頭が保存されていました。

ちなみに麒麟獅子舞が、

他の獅子舞と決定的に異なるのは、

胴幕に大人二人が入って舞う

「二人立ち」の様式を取るということです。

 

関東から東北地方にかけて分布する

「一人立ち」と呼ばれる獅子舞が、

日本の山野に住む「鹿」や「猪」を模した

日本固有の芸能であるの対し、

「二人立ち」の獅子舞は西洋の

「ライオン」を祖型とするなど、

外来文化の影響を色濃く残す様式だと聞きます。

 

また、赤い面・赤い衣装・赤い髪・赤い棒……等々、

全身を赤一色で覆った「猩々(しょうじょう)」

と呼ばれるあやし役がコンビを組み、

麒麟獅子を先導したり、

獅子と共に舞ったりするなどの点も、

この地域の獅子舞でしか見られない

ユニークな特徴かもしれません。


麒麟

2019-07-10 09:29:21 | 鉄の神々2

<日光東照宮>

 

麒麟(きりん)という想像上の動物は、古来より

「他の生き物を傷つけない泰平の世の象徴」

として崇められてきた霊獣です。

調べたところによりますと麒麟は、

鱗のついた大鹿のような身体、

龍に似た顔と牛のような尾、

黄色い体毛に馬の蹄のある足……などを持ち、

頭には一本角(複数ある場合も)

が生えているのだとか……。

 

何でもこの麒麟という生き物、

世の中が乱れているときには姿を現さず、

「徳のある王が世を治めているとき」

あるいは「徳のある王が出現する兆しがあるとき」

のみ現れるという特徴があるのだそうです。

 

ちなみに、鳳凰と共に「瑞獣(神聖な生き物)」

の筆頭ともいわれる「麒麟」への信仰は、

聖武天皇の時代に中国から

持ち込まれたと言われておりますが、

江戸時代になると、徳川家が麒麟の図柄を

好んで用いるようになったことから、

「麒麟」への信仰が各地に広まり、

家康を祀る日光東照宮の陽明門などには、

多数の麒麟の装飾を見かけます。

 

鳥取県東部から兵庫県西部の日本海側の各村には、

そんな麒麟をモチーフにした

「麒麟獅子(きりんじし)舞」

という伝統芸能が伝わっていました。


紆余曲折の歴史

2019-07-09 09:26:13 | 鉄の神々2

<宇倍神社 うべじんじゃ>

 

もともと伊福部氏の氏神であった

因幡国一の宮・宇倍神社に、武内宿禰が

主祭神として祀られるようになったのは、

古墳時代から飛鳥時代にかけて活躍した有力豪族

蘇我氏の存在が影響したのではないかとされます。

 

何でも、山陰地方の中心に位置する出雲国を巡り、

西の石見国には物部氏が、そして東の因幡国には

蘇我氏が陣取り、東西から挟み撃ちをする形で

にらみ合っていた時期があるのだとか……。

のちに、蘇我氏は中大兄皇子らによって滅ぼされますが、

その際に蘇我氏の鎮魂のために創建されたのが、

現在の宇倍神社なのだそうです。

 

もしそれが本当だとすれば、この因幡国において、

ニギハヤヒと同神ともされるアメノホアカリを祖神とし、

「物部氏」との深いつながりを感じさせる

伊福部氏の立場は、非常に複雑だったのかもしれません。

 

聞くところによりますと、宇倍神社の社殿背後の

丘の上にある双履石(武内宿禰の霊跡)は、

古墳の石組みの一部とのことですから、

この場所が祭祀場であったことは間違いないのでしょう。

 

自らの氏神を祀る斎場に、

表向きは蘇我系の祖神の名を冠し、

裏では物部系の神を自らの祖として

記録に残した伊福部氏の行動に、

紆余曲折の歴史を垣間見る思いがいたします。


伊福部氏

2019-07-08 09:22:57 | 鉄の神々2

<宇倍神社 うべじんじゃ>

 

因幡国一の宮・宇倍神社のご祭神に関する説を

見聞きする中で、特に信憑性が高いと思われたのが、

「伊福部氏(いおきべうじ・いふくべうじ)

の氏神を祀っていた」という話です。

天照国照彦火明命(通称:アメノホアカリ)

を祖先とする伊福部氏は、

主に因幡国の近辺を本拠地としていた豪族で、

長年宇倍神社の神職を世襲してきました。

 

以前ご紹介した、天照国照彦火明命をお祀りする、

たつの市・粒坐天照神社の縁起にも、

「地元の有力者である伊福部連駁田彦

という人物が、この神社を創建した」

という記述が見られることから、

伊福部氏は因幡国だけでなく、

播磨国などにも勢力を広げていたと推測されます。

 

ちなみに、伊福部のイフクとは、息を吹く、風を吹く

という意味を持ち、鉄を吹くための道具であるフイゴや

タタラ民とのつながりを示唆する言葉なのだとか……。

伊福部氏が拠点を構えていた場所の

多くが鉱山地帯だったとも聞きますし、

伊福部氏が鉱物やタタラ製鉄と

深く関わる一族であったことは間違いないのでしょう。


宇倍神社

2019-07-07 09:04:32 | 鉄の神々2

<宇倍神社 うべじんじゃ>

 

因幡国一の宮・宇倍神社のご祭神である

武内宿禰(たけしうちのすくね)は、

享年360歳とも言われる長寿の神です。

景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代にわたり、

およそ300年もの期間を各天皇に仕え、

また、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏

など有力豪族の祖でもあります。

 

そんな武内宿禰が、なぜ因幡国一の宮に

祀られているのかと申しますと、何でもここが

「武内宿禰の終焉の地」だからなのだとか……。

ただし、それらを示すのは『因幡国風土記』逸文に残る

「武内宿禰は宇倍山山麓で、履いていた双履を残して

行方知らずとなった」という記述のみで、

根拠となる他の物証はないと聞きます。

 

念のため、社務所で話を聞いてみたところ、

やはり宇倍神社の近辺が、武内宿禰の出身地であるとか、

武内宿禰が管理していた地であるとか、

その他もろもろ武内宿禰とつながるような

由緒はまったくないとのこと。

 

まあ、ここまではっきりと

「主祭神とは縁もゆかりもない」といわれると、

それはそれで潔く感じますが、

だとすれば、この宇倍神社に祀られている本当の神とは、

いったいどのような神様だったのかが気になりますね。


鉄と断層

2019-07-06 09:00:40 | 鉄の神々2

<宍粟市千種町>

 

美作市から佐用町、宍粟市を経由し、

三木市に至る北西⇔南東の区域には、

山崎断層帯と呼ばれる断層が貫いています。

平安時代、播磨地震を引き起こしたとされる

この山崎断層は、その後1000年以上も

活動した記録がないことから、

近いうちに内陸地震が発生する

可能性が高いと指摘されているのだとか……。

 

以前、能登の旅をテーマにした記事内で、

「断層と大国主神」との関係を考察しましたが、

改めて思い返してみますと、佐用町も宍粟市も

「大国主神」の伝承を残す場所ですし、

また、大国主神(オオナムチ)だけでなく、

スサノオや牛頭天皇、そして国常立大神に関しても、

地震神の性格を持つことで知られる神々です。

 

それを踏まえて考えるなら、

スサノオを主祭神とする神社が集中し、

また牛頭天皇などとの習合も色濃く見られる

八頭郡という土地が、どことなく「地震鎮め」

の性質を帯びているような気もしますね。

もしかすると、本来災害鎮めの役割を果たしていた

この地の神々は、タタラ製鉄の普及とともに

「武器の神」へと置き換えられたのでしょうか……。


争いの回避

2019-07-05 09:57:29 | 鉄の神々2

<若桜神社 わかさじんじゃ>

 

若桜神社の神域は、まさしく「祀りの場」

とでも言い表したくなるような、

「祓いの気」で満ちあふれていました。

恐らく、有史以前よりこの地では、

「古い神」をお祀りするための神事、

そして「鉄の争い」を回避するための攻防が、

絶え間なく続けられてきたのでしょう。

 

聞くところによりますと、神社のすぐ近くには

「若桜鬼ヶ城」という城跡があり、この城には

「破城」を行った形跡が残っているのだそうです。

「破城」といいますのは、戦を放棄したことを示すために、

城の一部を破壊する行為でして、周辺には人為的に崩したと

思われる石垣などがたくさん見つかっているのだとか……。

 

若桜鬼ヶ城が「破城」された理由は、

江戸幕府の一国一城令によるものだと聞きますが、

戦の象徴であった城を放棄し、

和平を選んだ近世の若桜の人々が、

他国から「新たな鉄の神」が押し寄せる中で、

この地の古い神を守ろうとした古代の若桜の人々と、

どことなく重なって見えるのは思い込みでしょうか……。


若桜と錦絵

2019-07-04 09:51:47 | 鉄の神々2

<若桜神社 わかさじんじゃ>

 

鳥取県へと入ったあたりで降り出した雨も、

若桜神社へと到着するころにはいつの間にか上がり、

鳥居の前の狭いスペースに車を駐めて外に出ると、

薄いグレーの空を背景に、紅色と黄色の木々に

彩られた朱色の楼門が見えてきました。

 

若桜神社が鎮座するのは、鉄道マニアの間で

有名な若桜駅から、宿場町の風情を残す

レトロな商店街を抜けた町の外れあたり。

川向こうの神域の入り口には、

雨露に濡れて地面に折り重なったもみじの葉が、

まるで錦絵を織り込んだ絨毯のように

石段を埋め尽くしています。

 

聞くところによればこの神社は、

「紅葉の名所」としても有名な場所なのだとか……。

小さな禊の川にかかる赤い橋を渡り楼門を見上げると、

秋色に染め上げられた枝葉が、

視界いっぱいに迫ってきます。

 

濡れ落ち葉で足を滑らせないよう

慎重に石段を登り切り、広い境内にたどり着いたとき、

ふいに本殿の方から雨上がりの湿った空気とともに、

心身を洗い流すような清涼な風が吹き抜けて行きました。


鉄の神がいる場所

2019-07-03 09:48:48 | 鉄の神々2

<若桜神社 わかさじんじゃ>

 

宍粟市から若桜街道を北上し、

峠を越えて鳥取県に入ったあたりで、

空から静かに雨粒が落ちてきました。

逆にいえば、天候が変わったことで

「あー県境を越えたな」と気づいたのですが、

のちに近辺の神社で聞いたところ、

鳥取との県境付近を境にして、

「太平洋側」から「日本海側」の気候へと

ガラッと変化するのだそうです。

 

古くは八上と呼ばれていた八頭郡の一帯は、

お隣の兵庫県宍粟市などと同様、

産鉄地として知られた土地柄で、

若桜町の「桜」という文字は、

「サ」「クラ」ともに砂鉄を表す言葉だと聞きます。

 

現在、若桜町は「わかさ」と読むのが正解ですが、

地名の語源をたどると、平安時代の天皇直属の集団

「若桜部(わかさくらべ)」にちなむという説が

あるそうですから、古くは「ワカサクラ」という

名で呼ばれていた可能性が高いのでしょう。

 

熊野の記事でご紹介した

「矢倉(神の座す場所・神の救いがある場所)」

という解釈を踏まえれば、「サクラ」とは

「鉄の神がいる場所」という風に

解釈できるのかもしれませんね。


気骨のある人々

2019-07-02 09:43:27 | 鉄の神々2

<若桜神社 わかさじんじゃ>

 

鳥取県八頭郡の一帯に鎮座する神社の半数近くは、

「スサノオ」をご祭神とする神社で、その中には

「牛頭天皇」と「妙見信仰」とを習合している場所が、

多数含まれていると聞きます。今回、鉄の神々を巡る旅で訪れた、

鳥取県若桜町の若桜神社の主祭神は国常立大神ですが、

実は山陰地方から丹後・丹波地方にかけてのエリアは、

「妙見信仰」の痕跡が数多く残り、

国常立大神やスサノオなどとも深く結びついた、

独自の信仰形態を保っているのですね。

 

また、八頭郡といえば、大国主神の妻である

ヤカミヒメゆかりの地としても有名で、

若桜町と養父市との境界にある氷ノ山(ひょうのせん)には、

ヤマタノオロチの伝承が伝えられています。

近隣の播磨国や但馬国では、鉄を巡る攻防により、

次々と神社の「主祭神」が書き換えられる中で、

スサノオ信仰を頑なに残したこの八頭郡、

そして「国津神の親分」である

国常立大神を守り続けた若桜神社には、

なかなかに気骨のある人々が存在していたのかもしれません。