<日高町・気多神社 けたじんじゃ>
新温泉町から再び内陸部へと移動し、
豊岡市内に入ってまず訪れたのが、
『播磨国風土記』の黒葛の件に
登場する「気多神社」です。
こちらは、アシハラシコヲ(オオナムチ)と
アメノヒボコが国占めをした際、
アシハラシコヲの投げた
黒葛のひとつが落ちたとの伝承が残る土地で、
また「気多」という名称が示すように、
能登国一の宮・気多大社との関連を
うかがわせる場所でもあります。
かつては但馬総社と呼ばれる
立派なお宮だったそうですが、
現在は当時の隆盛を想像させるものはなく、
国道わきの田んぼの中に鎮座する
「村の氏神」といった雰囲気の神社でした。
ちなみに、気多と名の付く神社は、
羽咋市を中心とする日本海沿岸に点在しており、
いずれも大国主命(オオナムチ)の
遠征ルートと関わるといわれます。
ここ兵庫県においても、
アシハラシコヲの投げた他の二つの黒葛は、
ひとつが但馬国の養父神社のあたり、
もうひとつが播磨国宍粟郡の
御形神社のあたりに落ちたとのことですから、
当時アシハラシコヲの勢力が
かなり広範囲に広がっていたことがわかるでしょう。