<大湯ストーンサークル>
縄文中期から後期へと移るに従い、
多くの集落は人々の居住地外に「儀礼の場」を設け、
目印となるモニュメントも「ムラ」の外へと移されました。
恐らくそこ至るまでには、様々な経緯があったはずですが、
そのひとつが縄文中期後半に起こった
地球の寒冷化だといわれております。
何でも、温暖だった気候が極端に涼しくなったことで、
森や海の生態系が変化し、大規模な集落を維持するだけの
食料が確保できなくなったのだとか……。
そのため、人々は他地域への分散・移動を余儀なくされ、
日本最大の規模を誇った三内丸山遺跡も、
この頃には姿を消したと聞きます。
そして、それと入れ替わるようにして登場したのが、
「ストーンサークル」と呼ばれる謎の環状列石です。
もちろん、それ以前からストーンサークルは
存在しましたが、縄文後期に出現するストーンサークルは、
三内丸山などに比べて不自然なほど大型であると同時に、
数百年以上に渡り繰り返し石を運んでいた形跡が
見られるなど、様々な謎を残していたのでした。