たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

縄文集落の変化

2019-10-26 09:09:49 | 縄文への旅

<大湯ストーンサークル>

 

縄文中期から後期へと移るに従い、

多くの集落は人々の居住地外に「儀礼の場」を設け、

目印となるモニュメントも「ムラ」の外へと移されました。

恐らくそこ至るまでには、様々な経緯があったはずですが、

そのひとつが縄文中期後半に起こった

地球の寒冷化だといわれております。

 

何でも、温暖だった気候が極端に涼しくなったことで、

森や海の生態系が変化し、大規模な集落を維持するだけの

食料が確保できなくなったのだとか……。

そのため、人々は他地域への分散・移動を余儀なくされ、

日本最大の規模を誇った三内丸山遺跡も、

この頃には姿を消したと聞きます。

 

そして、それと入れ替わるようにして登場したのが、

「ストーンサークル」と呼ばれる謎の環状列石です。

もちろん、それ以前からストーンサークルは

存在しましたが、縄文後期に出現するストーンサークルは、

三内丸山などに比べて不自然なほど大型であると同時に、

数百年以上に渡り繰り返し石を運んでいた形跡が

見られるなど、様々な謎を残していたのでした。