<三内丸山遺跡・縄文時遊館>
以前、雄略天皇についての記事の中で、
「ドッペルゲンガー(分身)」
という現象についてお話しましたが、
実は縄文時代の土偶にも、
この「ドッペルゲンガー」につながる
厳しいルールが存在したと、
個人的には睨んでおります。
秀でた美的センスと超絶技巧を
合わせ持つ縄文時代の人々が、
あえて写実的な形象を避け、
土偶の顔をデフォルメしたのは、
人間を「生き写し」にすることで、
モデルとなった人物の魂が吸い取られて
しまうのではないかと恐れたのでしょう。
つまり、縄文人が人間以外の生体を模写したのも、
そして顔や身体の精密表現を避けたのも、
根底には「人型を造ってはいけない」という
暗黙の了解が存在していたような気がするのです。
そう考えると、縄文草創期~前期にかけて
制作された顔なし土偶が、
非常に理にかなったものであったと同時に、
中期以降に登場する土偶たちに関しても、
綿密な計算の元にギリギリの線を狙って、
造形を施されていたことがわかります。
恐らく、私たちがイメージする以上に、
「人型」には大きな呪術効果があり、
縄文人たちはその影響力を知っていたからこそ、
一貫して「人であって人ではない存在」の姿を、
土偶に反映し続けたのかもしれません。