<三内丸山遺跡>
掘立柱の遺跡と聞きますと、
思い浮かぶのが北陸地方の環状木柱列です。
何でも「木の柱」を要する遺跡というのは、
東日本の日本海側に集中して見られるそうで、
北陸地方の木柱列は、交流があった東北北部の
「掘立柱」に対抗する意識で造られたともいいます。
ちなみに以前、能登の真脇遺跡に関する記事を書いた際、
「木柱列の中で祭祀を行っていた」
という説があることをご紹介しましたが、
三内丸山遺跡の掘立柱に関しても、個人的にはやはり
「祭祀のために造られた」という見解に心が動きます。
といいますのもこの建物は、柱と柱の間に冬至の太陽が沈む
(逆から見ると夏至の太陽が昇る)ような設計になっており、
「太陽信仰」のモニュメントとして建てられたのではないか
という話に、非常に納得する部分があったからなのですね。
各地の「神社」の配置を見てもわかるように、
古くから人々は太陽の動きを熟知し、
太陽の動きに合わせて「聖地」を定めてきました。
三内丸山遺跡を始めとする縄文遺跡は、
「神社」が創建される遥か昔から、
「太陽信仰」が人々の意識に根付いていたことを
教えてくれる貴重な遺構なのかもしれません。