たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

太陽と木柱

2019-10-23 09:57:57 | 縄文への旅

<三内丸山遺跡>

 

掘立柱の遺跡と聞きますと、

思い浮かぶのが北陸地方の環状木柱列です。

何でも「木の柱」を要する遺跡というのは、

東日本の日本海側に集中して見られるそうで、

北陸地方の木柱列は、交流があった東北北部の

「掘立柱」に対抗する意識で造られたともいいます。

 

ちなみに以前、能登の真脇遺跡に関する記事を書いた際、

「木柱列の中で祭祀を行っていた」

という説があることをご紹介しましたが、

三内丸山遺跡の掘立柱に関しても、個人的にはやはり

「祭祀のために造られた」という見解に心が動きます。

といいますのもこの建物は、柱と柱の間に冬至の太陽が沈む

(逆から見ると夏至の太陽が昇る)ような設計になっており、

「太陽信仰」のモニュメントとして建てられたのではないか

という話に、非常に納得する部分があったからなのですね。

 

各地の「神社」の配置を見てもわかるように、

古くから人々は太陽の動きを熟知し、

太陽の動きに合わせて「聖地」を定めてきました。

三内丸山遺跡を始めとする縄文遺跡は、

「神社」が創建される遥か昔から、

「太陽信仰」が人々の意識に根付いていたことを

教えてくれる貴重な遺構なのかもしれません。