<三内丸山遺跡>
日本一有名な縄文遺跡といっても過言ではない
青森市の三内丸山遺跡は、なんと1,500年もの長い間、
いわゆる「ムラ」の形式を保ち続けた場所なのだそうです。
これは、縄文時代全体を見渡しても極めて稀なケースであり、
これだけの長期間に渡り、繰り返し人々が暮らしてい
た痕跡が見られるのは非常に珍しいのだとか……。
恐らく、歴代の三内丸山の人々が
この地にこだわった理由のひとつが、
昨日ご紹介した6本の掘立柱である可能性も高いのでしょう。
通常であれば縄文後期になるに従い、
このようなモニュメントは集落外へと移され、
日常の場と非日常の場とが分けられる傾向が強いと聞きますが、
三内丸山の人々が最後まで集落内に、
これらの「信仰の聖地」を維持し続けた背景には、
6本の掘立柱(が示す太陽軌道)を動すことが
できない重要な理由があったと推測されるのです。
もしかすると、三内丸山遺跡の掘立柱は、
「他の巨木・巨石信仰の遺跡」ともつながる、
太陽ネットワークの一大拠点だったのかもしれませんね。