桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について36

2007-11-05 21:57:35 | 日記・エッセイ・コラム

○2年生の頃④

我が書コースでは、秋になると学外演習と称して、東京や関西などの博物館に出かけて見聞を広めたり、合宿を行って篆刻の実習を行ったりしていた。

2年生の時は、北京の故宮博物院に行く話が持ち上がっていたが、折しも天安門事件が起こり、その話は沙汰止みとなってしまった。その代わり、東京にある博物館を回ろうということになった。

東京国立博物館、畠山記念館、永青文庫、センチュリーミュージアム、日中友好会館などを見学したのを記憶しているが、それ以外は覚えていない。東京国立博物館では、稀代の名品の数々を、直に手にとって見せていただいて、大いに感激した。特に北宋時代の米芾の書いた「虹縣詩巻」は、大好きな作品というこもあって、感激しながら見ているうちに、ちょっと乱暴に扱ってしまい、近くで見ていた、この時の特別展観の便宜を図ってくださった角井博先生に、ちょっとにらまれてしまった。

学外演習の楽しいところは、単に名品を見ることだけではない。空き時間には繁華街や遊園地などにも出かけた。特に後楽園遊園地に出かけたのは印象深い。当時助教授であった伊藤伸先生が、誰からも相手にされずにいたのか、私達のグループに声を掛けてきて、一緒に遊園地に行くことになったのである。先生はどのアトラクションも一緒に楽しまれ、本当に楽しそうにしていたのが忘れられない。

先生は学外演習から帰って1週間もしないうちに、突然の事故で急逝されたのだった。

私は先生の、師の西川寧譲りの学識の深さ、書に対する姿勢の厳しさを、先輩達から常に耳にしていた。そして、是非先生の授業を受けてみたいと思っていた。先生が作品を書かれる様を目にしたいと思っていた。

亡くなられる直前、先生は私達が授業を受けている部屋へふらりと入ってきて、その時臨書していた「書譜」についてちょっとした話をされ、ご自分の想い出も語られた。その後隣の書室で制作している大学院生のために、皆が見ている前で、清朝中期の文人・包世臣の書風に倣った草書作品をものされた。

亡くなられる直前に、ほんのほんのごくわずかな時間であったが、先生の学識や書に触れることができた。そして、遊園地での楽しいひとときを持つことができた。先生はとかく難しい面もお持ちだったが、やはり我が書コースの一つの柱だったし、日本の書壇の次代のホープの一人だったことは間違いない。その急逝による損失は余りにも大きいものがあったが、もし先生がご存命だったら、私のその後の立場はどうなっていたことだろうか。かなり難しいものであったことは容易に想像できる。

ちなみに先生が亡くなられた後、後任には東京国立博物館の角井博先生が着任されたのも、不思議な縁であった。

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