桑の海 光る雲

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シルクロード・その13

2005-02-15 21:28:06 | 旅行記
夜行列車は早朝のトルファンに到着した。ツアーの初日から、上海で夕立に遭った以外はずっと晴れていたのだが、トルファンでは曇りであった。かなりの数の乗客の乗り降りがあり、またホームはたくさんの物売りが行き来して、窓からたくさんの手が伸びている。トルファン駅の駅舎はかなり古く、現在では閉鎖されている。聞けば、旧ソ連の援助で建てられたものだという(現在では立派な駅舎に建て替えられている。)。

トルファン駅はトルファンの町から数十㎞離れており、柳園駅以上に、周りには何もない。バスに乗り換え、砂漠の中をひたすらトルファンの町まで進む。朝が早いので、暑さはさほど感じず、窓から入ってくる風はちょっと涼しすぎるほどである。それにしても驚くのは、故障したらしく止まっている車や、事故を起こして大破していたり、ひっくり返ったりした車をしばしば目にすることである。敦煌で見た車以上に年季の入った車が多いような気がする。そうした車を炎天下で飛ばす(その上交通マナーはないに等しいときている)ものだから、こうしたことになるのだと思われた。

そして、何と言っても印象深いのは、ロバ車が急に多く見られるようになったことである。敦煌や陽関に行く途中で何台か見たが、ロバの何とも言えず穏やかな表情がすっかり気に入ってしまった。時に子ロバを連れている場合もあり、子ロバの愛らしさは何とも言えない。そんなロバ車があちこちで目にすることができるようになった。

さらに気付いたのは、人種の違いである。トルファン駅では、漢族と同じくらいの数のウィグル族の人達を見た。漢族に比べて顔の彫りが深く、民族特有の帽子をかぶっている(帽子は民族ごとに違うのだそうだ)。ウィグル族の人達は、何と言ってもその瞳の優しさが特徴である。確かに顔の彫りは漢族に比べて深いが、西欧の人達に比べればさほどでもない。しかし瞳は西欧人のそれで、ある所では、瞳の青いウィグル族の人も見かけた。瞳の色は茶色の人が多かったように思う。そうしたことが、ウィグル族の人達の優しく穏やかな表情を作り出しているのではないかと思われた。トルファン駅に私たちを迎えに来てくれ、この後ウルムチまで同行するガイドも、ウィグル族の血を引く人であった。そういえば、地名もこれまで漢字で表記されてきたが、トルファンと、この後訪れるウルムチは、地図では片仮名で表記されている。そういうことも、私たちが中国から離れ、西域に入ったことを実感させてくれた。

トルファンの町に着いた。トルファンは人口2,3万人の小さな町だと聞いていたが、まさにその通りである。車で20分もすると町を横断、縦断できてしまう。高層ビルもなく、見えた範囲では5階建てほどの建物しか見えない(後でホテルの窓から眺めたが、町の中で一番大きな建物はモスクだった。)。そんなこともこの町の小ささを表していた。

朝食がまだなので、今日の宿、緑州賓館に入った。部屋に荷物を置き、レストランで朝食を取った。ここで今回のツアーで初めて、羊の”洗礼”を受けた。シルクロードに行くには羊の肉が食べられないと大変、という話を聞いていたが、敦煌では食べる機会がなかったので、今回が初めてである。人によってはその臭いがダメ、という人もあるそうだが、私は難なく食べられた。においも、どうせ皆がそのにおいをさせながら行動するのであろうから、少しも気にならなかった。特に美味しかったのは、羊の肉とインゲンなどの野菜をトマトで煮込んだスープで食べる”ラグ麺”といううどんである。シルクロードでは”トマト風味のうどん”があって美味しい、とガイドブックにあったのはこれのことだろう。うどんは日本のものと同じで、一本一本が長かった(元々一本の長いものを切るのだという)。コシもあってとても美味しかった(別の機会には、お代わりをして食べたこともあった)。

朝食からして満腹になってしまった。この先が思いやられた。例によって暑い日中はホテルで休むことになっていたので、そのまま観光へ出た。まずは町の西にあるモスクを訪れた。美しいペパーミントグリーンに彩色された小さなモスクである。周囲にはたくさんの花が植えられ、中庭には大きな葡萄棚がある。見学は短時間で済んでしまったので、入り口のところで待っていた。そこには屋台が出ていて、ウィグル族の男性が麺を食べていた。するとBさんが近寄っていき、その男性に”オレにも食べさせろ”いうような仕草をして見せた。するとその男性はどんぶりと箸をBさんに渡した。Bさんは一口麺をすすり、「美味しい!」と言って親指を立てた。そして残りの入ったどんぶりを男性に返した。男性は不快な顔をしてどんぶりを屋台に返し、むっとした表情で行ってしまった。きっとBさんが全部食べると思っていたのだろう。となると、こちらの習慣では、一つのどんぶりを他人同士が分けて食べるようなことはないのであろうかと思われた。Bさんは悪いことをした、というような表情をしながら私たちの所へ戻ってきた。

モスクの後はバザールへ出かけた。朝早い時間だったこともあり、大変なにぎわいであった。ありとあらゆる生活必需品が並んでいたが、中でも派手な色彩の布地(ここで売っているのと同じ布地で作った服を着ている女性がたくさん見られた)、袋に入れられた様々なスパイス(これはとてもいい匂いを漂わせていた)、様々な野菜と果物が印象に残っている。果物ではラグビーボール型のハミ瓜、平たい形の桃・播桃、そしてみずみずしい葡萄。どれもとても美味しそうだった。現地ガイドによれば、西域の各町ごとに特産の果物があるそうである。トルファンは葡萄、ハミは瓜である。アクスやカシュガル、アトシュやクチャにもそれぞれ特産の果物があり、播桃や梨、サクランボなどがそれに該当するのであるが、どの町とどの果物が組み合わされていたのかは忘れてしまった。

トルファンは葡萄の町である。葡萄は生で食べるだけでなく、干しぶどうにもする。町のあちこちに、干しぶどうを作るための独特な形をした小屋が並んでいた。煉瓦を互い違いに組んで、壁に格子模様に穴を開けておき、中に葡萄をつるす。そこを砂漠の熱風が通り抜ける時、葡萄の水分が抜け、味の濃い干しぶどうができるのだそうである。バザールには干しぶどう売りの店もいくつも出ていた。一粒二粒ならつまんでもOKなので、あちこちでつまみ食いをさせてもらった。干しぶどうでありながら、グミを食べているかのような独特の食感であった。ちなみに、トルファンの葡萄はすべて緑色で、紫色のものは一つもなかった。

バザールでの自由時間はけっこう長く取ってあったので、バザールの裏側までふらっと出てみたら、驚いた。バザールへやって来た人達の乗ってきたロバ車の”駐車場”になっていたからである。穏やかな表情のロバがずらりと並び、子ロバを連れているものもいる。中には、大きな声でいなないているのもいる。テレビで見て知ってはいたが、その顔に似合わず、その鳴き声はちょっと品がない。しかし、見ていて飽きることがない。

見て回っているうちに、荷台の釘に引っかけて、ジーンズに小さな穴が開いてしまった。この後しばらく、穴を見るたびに、ああ、この穴はトルファンで開けてしまった穴なんだなぁ、と懐かしく思い出していた。

バザール見学を終え、ホテルに戻った。昼食後はトルファン東郊外の観光の予定である。

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