○大学院1年の頃⑨
大学院1年の後半のことはあまりよく覚えていない。しかし、進路のことと修論のことは考え始めていた。制作の方も、陳鴻壽風の行草を書いたり、何紹基風の隷書を書いたりしていたが、まだ将来の方向を決めたわけではなかった。
進路については漠然と教員かな、と思っていた。でも、書道の教員の採用はどうやらないらしいということを、同じ群馬出身の先輩に聞いていたので、副免として取ってあった国語の教員免許を生かして、国語教師の道を選ぶことになる(国語は古典を中心に嫌いではなかった)のかなと考え始めていた。そうなると、試験勉強はハードだなとも思っていたが、不思議と不安は感じていなかった。
修論については、卒論で陳鴻壽を扱う中で、陳鴻壽もその一員である西泠八家の書に惹かれるものがあり、陳鴻壽の書について調べたことを、西泠八家にまで広げて調べてみようと考えていた。陳鴻壽は西泠八家の中で時代的にほぼ中間に位置しており、陳鴻壽を基準にして、前にさかのぼって考えることも後に下って考えることも可能であり、その点では調べやすいのではないかと考えた。そこで、実は卒論が終わった後から、ぼちぼち資料を集め始めていたのだった。本格的な資料集めは台湾から帰った後から開始した。タイトルも「西泠八家の書」と決めた。
3学期に入った頃、授業の後の休憩時間に岡本先生から「今度4月に、西安に1週間ほど出かけるんだが、一緒に出かけてみる者はおらんか?」と言われた。聞けば、ある書道関係のイベントに参加するとともに、大雁塔、昭陵、乾陵、歴史博物館、兵馬俑坑、始皇帝陵などの書道関係の史跡を一通り見て回るとのことだった。どこも訪れてみたいところばかり。先生は費用も教えてくれたが、自分の持ち合わせに少しプラスすれば何とかなる金額だったので、同級生のS君と一緒に参加することに決めた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます