ウルムチの最後の夜は、フリーということで夕食が付いていない。天池のメンバーで、現地ガイドの案内で、現地の人が行く食堂へ行くことになった。食堂はバザールの路地を入ったところにあった。薄暗い店内には、現地の男性が楽しそうに食事をしている。そこへ我々が入っていったものだから、人々の注目を浴びてしまった。
現地ガイドの人が適当に見繕って料理を注文してくれたのだが、覚えているのは4つだけである。ラグ麺とケバブ、そして抓飯(ポロ)と、羊肉の煮込みである。抓飯は、新彊風ピラフである。ご飯と一緒に炒められた黄色いニンジンが、チャーハンに独特の甘みを加えている。このチャーハンには、必ず羊肉の味付け煮込みが添えられる。これらを合わせて食べると大変美味しい。羊肉の煮込みは、羊肉をぶつ切りにして塩とたくさんの香辛料を煮込んだだけの料理である。これが出されてきた時はちょっと面食らってしまったが、いざかぶりついてみると、美味しい。時間をかけて煮込んであるので、肉も軟らかくなっている。さらに、今回の旅でよく食べたナンが添えられており、スープにナンを付けて食べると、これが絶品である。皆で一緒に食べる夕食はこれが最後ということもあり、ビールも注文して、大いに盛り上がった。そして、皆お腹一杯になって、羊臭くなりながらホテルへ戻った。南山牧場へ行ったIさん親子は楽しかったと言っていた。Sさんの体調も回復していた。
翌日は上海へ移動するのみである。昼食も機内食である。飛行機はあっという間にウルムチ空港を飛び立った。あまりにあっけない旅立ちで、シルクロードに思いをはせている暇もないほどだった。上海には3時頃着くとのことだったので、上海の町で本を買おうと考え、地図を見ながらあれこれ予定を立てていた。
飛行機が空港に到着した。ところが、機内放送に耳を傾けてみると「ベイジン」と言っている。Tさんに聞くと、北京に到着したとのことだった。つまり、この飛行機は北京経由上海行きだったのである。そんなことは聞いていないし、日程表にも書いていないので、最後の最後でTさんに抗議してしまった。でも、来てしまったのだから仕方がない。1時間ほどして飛行機は上海へ飛び立ち、上海に到着した。
ホテルに到着して、この後の説明を聞いた。上海では、フリーの夕食をとった後、上海雑伎団の公演を見ることになっていた。これは、上海を発つ前に提案があって、皆で申し込んだものである。ところがホテルに着いて現地ガイドに聞いてみると、何と公演は上海雑伎団専用の会場ではなく、市内のホテルで行われるという。そんなことは以前に聞いていなかったので、皆が現地ガイドに抗議した。ガイドのTさんも、スルーガイドの女性も抗議した。そして、皆でキャンセルすることにその場で決めてしまい、皆ホテルの部屋に戻ってしまった。残された現地ガイドとチケットはどうなったことだろう。
私はその後上海の町へタクシーで出かけた。Tさん夫妻も上海の夜を楽しむとのことだった。私はお目当ての書店の近くのホテルまでタクシーで行き、書店を探したものの、見つからなかった。もう少し時間があれば見つけられるのに、と、今日の旅程を恨んだ。たまたま目に入った書店で、書道関係の本を何冊か買ったが、いささか不満であった。
そんな不満を晴らすべく、最後の夕食は豪勢なものにしようと思い立った。タクシーに乗り、告げた行き先はヒルトンホテル上海。上海で最高級の5つ星のホテルである。タクシーから降り立つと、さすがに入るのに躊躇したが、夏場と言うこともあって、客は皆ラフな格好をしていたので安心した。ちょうど目の前にビュッフェ形式のレストランがあったので、そこで夕食にすることに決めた。ピアノの生演奏が行われており、ちょっと場違いな感じがしたが、決意を固めて中に入った。カップルやビジネスマンが多いようだが、そんなに堅苦しい感じではないので安心した。他の客が食べているものを見て回りながら、調理をしているコックに適当に注文した。目の前で肉や魚を手際良く調理してくれる。できたての料理をほおばった。ビールも注文した。お腹一杯になった後は、デザートバイキングでケーキやムースをいくつもとって食べた。まずまずの味だった。会計をしてもらうと、5,000円くらいになった。中国の食事では破格の値段だが、最終日なので、まぁ、いいだろう。ビールのおかげでかなりいい気持ちになり、ホテルへ戻った。
翌日は日本へ戻るばかりである。昼前に空港に到着し、あっという間に機中の客となる。機内でアンケートを書かされたので、感想をかなり率直に書いた。しかし、四季の旅社はこの3年後に倒産してしまったので、あまり役には立たなかっただろう。機内では、Tさん夫妻と、Iさん親子とで住所を交換した。ウルムチでTさんが住所交換を提案したのだが、実行されなかったところを見ると、異論が出たのだろう。
そうこうしているうちに飛行機は成田に到着した。ガイドのTさんに別れを告げ、Tさん夫妻と、Sさんと一緒に京成電車で上野まで戻った。(Iさんは、後の手紙で、成田到着後そのままミラノへ飛ぼうと、トルファンでひそかに決意していたそうだが、飛行機が満席でダメだったそうだ。もし行けることになったら、さりちゃんに20,000円を渡して、一人で広島まで帰らせるつもりだったそうだ。なんちゅー親だ、と思ったが、それもIさんらしかった。)Tさん夫妻が途中下車した時、まだ家にも着いていないのに、今回の旅が終わってしまったような、何とも言えない寂しさに襲われた。Tさん夫妻あっての今回の旅だったと、私は強く信じている。なぜなら、その2年後に、同じくシルクロードを15日間、今度はカシュガルやホータンも巡るU社の旅に参加したが、全然楽しくなかったからだ。もちろん観光地は楽しかったが、ツアーの人達との交流がほとんどなかったからである。やはり旅の楽しさの多くは、一緒になった人達との交流にあるのだ、ということをこの時も実感したのである。
今日、NHKで新シルクロードの第2回をやっていた。ちょうどトルファンのベゼクリク千仏洞を特集していた。トルファンも10年の間にすっかり近代的な都市に生まれ変わっていた。しかし、ウィグル族の人達の目の優しさは変わりがなかった。久々に行ってみたくなったけれど、きっと10年前の思い出を壊しに行くことになるだけだろう。だから、あの時の記憶が薄れるまで、行くのは我慢しようと思う。薄れる前に、あの時の旅のことを、今回長々と綴ってみた。そうしないと、その時の記憶はどんどん薄れていくだろうと思われたからである。でも、書き続ける中で、一緒だった人達の顔が、目にした素晴らしい光景が、脳裏によみがえってきた。Tさん夫妻、Iさん親子、Aさん、Bさん、ケンちゃん、そしてガイドのTさん(今はどこにお勤めだろう?)、皆さん元気だろうか?このブログを奇跡的に目にしてくれる人がいてくれると嬉しい。
現地ガイドの人が適当に見繕って料理を注文してくれたのだが、覚えているのは4つだけである。ラグ麺とケバブ、そして抓飯(ポロ)と、羊肉の煮込みである。抓飯は、新彊風ピラフである。ご飯と一緒に炒められた黄色いニンジンが、チャーハンに独特の甘みを加えている。このチャーハンには、必ず羊肉の味付け煮込みが添えられる。これらを合わせて食べると大変美味しい。羊肉の煮込みは、羊肉をぶつ切りにして塩とたくさんの香辛料を煮込んだだけの料理である。これが出されてきた時はちょっと面食らってしまったが、いざかぶりついてみると、美味しい。時間をかけて煮込んであるので、肉も軟らかくなっている。さらに、今回の旅でよく食べたナンが添えられており、スープにナンを付けて食べると、これが絶品である。皆で一緒に食べる夕食はこれが最後ということもあり、ビールも注文して、大いに盛り上がった。そして、皆お腹一杯になって、羊臭くなりながらホテルへ戻った。南山牧場へ行ったIさん親子は楽しかったと言っていた。Sさんの体調も回復していた。
翌日は上海へ移動するのみである。昼食も機内食である。飛行機はあっという間にウルムチ空港を飛び立った。あまりにあっけない旅立ちで、シルクロードに思いをはせている暇もないほどだった。上海には3時頃着くとのことだったので、上海の町で本を買おうと考え、地図を見ながらあれこれ予定を立てていた。
飛行機が空港に到着した。ところが、機内放送に耳を傾けてみると「ベイジン」と言っている。Tさんに聞くと、北京に到着したとのことだった。つまり、この飛行機は北京経由上海行きだったのである。そんなことは聞いていないし、日程表にも書いていないので、最後の最後でTさんに抗議してしまった。でも、来てしまったのだから仕方がない。1時間ほどして飛行機は上海へ飛び立ち、上海に到着した。
ホテルに到着して、この後の説明を聞いた。上海では、フリーの夕食をとった後、上海雑伎団の公演を見ることになっていた。これは、上海を発つ前に提案があって、皆で申し込んだものである。ところがホテルに着いて現地ガイドに聞いてみると、何と公演は上海雑伎団専用の会場ではなく、市内のホテルで行われるという。そんなことは以前に聞いていなかったので、皆が現地ガイドに抗議した。ガイドのTさんも、スルーガイドの女性も抗議した。そして、皆でキャンセルすることにその場で決めてしまい、皆ホテルの部屋に戻ってしまった。残された現地ガイドとチケットはどうなったことだろう。
私はその後上海の町へタクシーで出かけた。Tさん夫妻も上海の夜を楽しむとのことだった。私はお目当ての書店の近くのホテルまでタクシーで行き、書店を探したものの、見つからなかった。もう少し時間があれば見つけられるのに、と、今日の旅程を恨んだ。たまたま目に入った書店で、書道関係の本を何冊か買ったが、いささか不満であった。
そんな不満を晴らすべく、最後の夕食は豪勢なものにしようと思い立った。タクシーに乗り、告げた行き先はヒルトンホテル上海。上海で最高級の5つ星のホテルである。タクシーから降り立つと、さすがに入るのに躊躇したが、夏場と言うこともあって、客は皆ラフな格好をしていたので安心した。ちょうど目の前にビュッフェ形式のレストランがあったので、そこで夕食にすることに決めた。ピアノの生演奏が行われており、ちょっと場違いな感じがしたが、決意を固めて中に入った。カップルやビジネスマンが多いようだが、そんなに堅苦しい感じではないので安心した。他の客が食べているものを見て回りながら、調理をしているコックに適当に注文した。目の前で肉や魚を手際良く調理してくれる。できたての料理をほおばった。ビールも注文した。お腹一杯になった後は、デザートバイキングでケーキやムースをいくつもとって食べた。まずまずの味だった。会計をしてもらうと、5,000円くらいになった。中国の食事では破格の値段だが、最終日なので、まぁ、いいだろう。ビールのおかげでかなりいい気持ちになり、ホテルへ戻った。
翌日は日本へ戻るばかりである。昼前に空港に到着し、あっという間に機中の客となる。機内でアンケートを書かされたので、感想をかなり率直に書いた。しかし、四季の旅社はこの3年後に倒産してしまったので、あまり役には立たなかっただろう。機内では、Tさん夫妻と、Iさん親子とで住所を交換した。ウルムチでTさんが住所交換を提案したのだが、実行されなかったところを見ると、異論が出たのだろう。
そうこうしているうちに飛行機は成田に到着した。ガイドのTさんに別れを告げ、Tさん夫妻と、Sさんと一緒に京成電車で上野まで戻った。(Iさんは、後の手紙で、成田到着後そのままミラノへ飛ぼうと、トルファンでひそかに決意していたそうだが、飛行機が満席でダメだったそうだ。もし行けることになったら、さりちゃんに20,000円を渡して、一人で広島まで帰らせるつもりだったそうだ。なんちゅー親だ、と思ったが、それもIさんらしかった。)Tさん夫妻が途中下車した時、まだ家にも着いていないのに、今回の旅が終わってしまったような、何とも言えない寂しさに襲われた。Tさん夫妻あっての今回の旅だったと、私は強く信じている。なぜなら、その2年後に、同じくシルクロードを15日間、今度はカシュガルやホータンも巡るU社の旅に参加したが、全然楽しくなかったからだ。もちろん観光地は楽しかったが、ツアーの人達との交流がほとんどなかったからである。やはり旅の楽しさの多くは、一緒になった人達との交流にあるのだ、ということをこの時も実感したのである。
今日、NHKで新シルクロードの第2回をやっていた。ちょうどトルファンのベゼクリク千仏洞を特集していた。トルファンも10年の間にすっかり近代的な都市に生まれ変わっていた。しかし、ウィグル族の人達の目の優しさは変わりがなかった。久々に行ってみたくなったけれど、きっと10年前の思い出を壊しに行くことになるだけだろう。だから、あの時の記憶が薄れるまで、行くのは我慢しようと思う。薄れる前に、あの時の旅のことを、今回長々と綴ってみた。そうしないと、その時の記憶はどんどん薄れていくだろうと思われたからである。でも、書き続ける中で、一緒だった人達の顔が、目にした素晴らしい光景が、脳裏によみがえってきた。Tさん夫妻、Iさん親子、Aさん、Bさん、ケンちゃん、そしてガイドのTさん(今はどこにお勤めだろう?)、皆さん元気だろうか?このブログを奇跡的に目にしてくれる人がいてくれると嬉しい。
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