○面接を受ける~新潟大学を受験するまで
面接はぶっつけ本番だったが、内容は調べてあったので、想定問答集を用意しておいた。控え室では右隣と、その右隣の洋画コース志望の女の子と楽しく過ごしたが、二人とも落ちてしまった。左隣には同じ書コースを受験した女の子がいたが、おとなしそうな感じの人で、ついに言葉を交わさずに終わった。ちなみに彼女は合格し、同級生となった。
担当教官は3人、岡本先生と思われる優しそうな先生が主に質問をしてきた。でも、作品の出来、将来どのような書制作に取り組みたいかを聞かれただけだった。もう1人の先生が、調査書にあった「坂東太郎委員」という記述を見て「坂東太郎委員とは何ですか?」と聞いてきた。生徒会誌の名前だと答えると、「その名前の由来は何ですか?」とまで聞かれた。さすがにそこまで知らないので、むかし学校が利根川の川岸にあったからと答えた。その先生がその後「まぁ、県教育書道展知事賞っていう実績もあるしね。」とぼそっと言うのを私は聞き逃さず、これはかなり良い線をいっていることを確信した。
面接はつつがなく終わり、後に大学も先輩となるKさんと電話で連絡を取り合い、Kさんのお宅にお邪魔させてもらった後、Kさんの車で駅まで送ってもらい、私の筑波大学受験は終わった。
帰るとすぐに、今度は新潟大学の対策のために、私は以前と同じく学校に通うことにした。入試の翌日には高校のN先生に入試のことを細かく聞かれたが、残さず記憶していたのでそれを一つ一つ話した。他の受験生があまり上手くなかったことも率直に話した。新潟大学の対策はこれまでと同じ練習を繰り返したのだが、筑波大学でかなりの手応えを感じていたし、共通一次の自己採点結果では、新潟大学の合格可能性は余裕のA判定(しかも志望者で1位)だったので、あまり気合いが入らなかった。