すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

気持ちの整理がつかない

2024-05-12 11:17:01 | ひとりごと
 昔一緒に舞台に立っていた友人から、本当に久しぶりに連絡が来たのは今年に入ってすぐだった。スマホが変わっていたか何かで連絡がついていなかったのだが、久しぶりの連絡は心配な内容だった。
 「Nさん去年の秋から連絡がつかない。知らない?」
という内容だった。
 Nさんは彼女と同じ私と同い年の友人だが、私の直接の友人と言うよりは彼女の同級生だった。たまたま私が久石譲さんのファンだと聞きつけたNさんが、彼女に紹介して欲しいと頼んだらしく、そこからの付き合いだった。
 Nさんは大阪でイラストレーターを目指し、その方面の仕事をしていたので、大阪でコンサートがある時は時間が合えば一緒にお茶をした。食の細い人で一緒に食事という事はほぼ無かった。けれど、長くファンをしているNさんからは、私の知らない久石さんの話を沢山聞くことが出来た。
 当時はコンサート終わりのオフ会などにも参加して、ほとんどが10代の若者の中浮いてしまう中年女だったが、代わる代わる若者がピアノを弾いてくれるのを、マルガリータやテキーラサンライズを飲みながら聞くのは贅沢な時間だった。
 そんなNさんだったが、親御さんが高齢になり介護の為に実家に戻ったのは何年前だろう。私の方が先に田舎に帰っていたのだが、すでにケアマネをしていたので、当時は少し相談に乗ったりもしていた。
 私が父の介護をしていた頃は、連絡をくれた彼女はベッドで聞けそうな音楽を録音して送ってくれたり、Nさんは丁寧に折り鶴を送ってくれたりした。
 しかし、年賀状のやり取りと稀にメールのやり取りがある位で、最近は疎遠になっていたのだ。そのことを伝えると、Nさんから私の近況を聞くことが多く、連絡しあっているものだと思っていたと言う。おそらくブログを見てくれていたので、その内容だったのだろう。当時ケアマネをしていたとはいえ、結局本当に何の力にもなれなかった。
 彼女から連絡を貰ってパソコンからとスマホからNさんのパソコンにメールをしてみると、エラーにはならなかったので、
 「パソコンのアドレスは生きてるみたい。でももし入院と化していたら、パソコン使えないしね。」
と話していた。
 その後も何のリアクションもなく、もしかしたらすでに片方の親御さんは亡くなり、もう片方の親御さんは施設だと言うので、大阪に戻ったかもしれないし、しんどい時は放っておいて欲しいのかもしれないとも考えた。
 それが一昨日、彼女から連絡があった。ずっと不在だった自宅の庭に車があったので訪問すると親戚の方がいて、昨年亡くなっているのだと聞いたと言う。丁度連絡がつかなくなった時期である。
 同い年の突然の死は実感もなくそのくせ衝撃が強い。ましてや仲の良かった同級生の彼女の心痛は計り知れない。
 「大丈夫?」
としかかける言葉がない。大丈夫なわけがないのに・・・。
 今日母の日の買い物に車を走らせていて、ランダムにしているカーステレオから当時10代で作曲家を目指していた若者の曲がかかって、思わずNさんとの思い出が交錯して涙が出た。
 今更だが、安らかに旅立ってくれていれば・・・と願う。向こうでゆるやかに久石さんの曲を聴いていてくれれば・・・。


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2 コメント

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Unknown (ふくだ)
2024-05-12 15:23:02
それは心痛ですね…。
しばらく顔を合わせていなくとも、やっぱり心残りは大きいものです。
いま、穏やかに過ごしておられることを祈るばかりです。
ふくだ様 (すずしろ)
2024-05-14 09:06:45
ありがとうございます。
正直、本当に実感がなくて、そのくせ、いきなり悲しくなったりして。

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