![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/6f/39f6d4e27148d6368055e9c512500488.jpg)
種山高原の万緑を満喫した後、連れて行って下さった先輩が、近くにある「栗木鉄山跡」という鉱山跡を見に行こうと誘って下さった。そういえば、以前〝種山ヶ原からの帰途〟において、「栗木鉄山」の案内板について投稿したことを思い出し、気になっていたところなので興味津々でついていった。それは他でもない、その時に見た大小二つの案内板は次のようなものだったからだ。
《2 大案内板「栗木鉄山」》(平成26年9月16日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/95/1030130b3793470a10b94739e91ca8a3.jpg)
《3 小案内板「賢治と鴬峠」》(平成26年9月16日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/03/30c7a871c6e377e82bc98ec7972a7005.jpg)
つまり、簡単に言えば、賢治と「栗木鉄山」はかなり関連があると思ったからであった。
さて肝心の「栗木鉄山跡」だが、
《1 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/96/7eae0e94532b25420f7498efa63c1694.jpg)
《2 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/66/0578eb0916ad9e109de8d530eb1a7401.jpg)
《3 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/87/266439460f1811b3b481df040503b421.jpg)
《4 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/bc/0a2889cca31b37a9ad2d8234c4c39641.jpg)
《5 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/84/f398931ab068efa9279533a059927f75.jpg)
《6 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/85/8fdfa0b9845b46957ac18167d7ec6731.jpg)
《7 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7a/b759cd935da797bbdd613ccba1f452ea.jpg)
《8 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9c/11e7a4653f3a96d220fabd47aec91e5e.jpg)
《9 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/04/aa2eb9c39f88dbaf1e38bf9f50fc2ec7.jpg)
《10 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b6/44f9d56a1716ff4d7e197ed09ba543a3.jpg)
《11 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/8d/7125ce53fab1d8fe305bed99e2f4133c.jpg)
《12 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/fa/bc2119e605f4d257b680996b879a8dfa.jpg)
《13 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/52/2ee969c12f6a43de33d2e24daba76ec8.jpg)
《14 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/47/820096ba3f2449d0b8d5de40880f3c86.jpg)
《15 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/7f/bd8a2794ba4166961dbacd623c2af6c4.jpg)
《16 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/3ceabe19faceefc012d9df84f4502922.jpg)
実際にこうして跡地を目の当たりにしてみると、かなり大規模な鉱山であったことが私にも分かった。そして、好奇心も極めて強かったはずの賢治のことだ、人首を訪れた<*1>理由の一つにこの鉱山のことが関連していたであろうことが容易に想像できた。それはとりもなおさず、上掲大小二枚の案内板に賢治が登場し、しかもその案内板を立てたのは、「賢治街道を歩く会」となっていたからでもある。
同時に、当時人首に、ロシア正教とカトリックの二つもの教会があったことが私は今まで腑に落ちなかったのだが、これだけの大規模な鉱山が近くにあったことを知って、謎の一部が解け始めてきたような気がした。
なお、下根子桜や胡四王山そして大森山など、賢治縁の森などが惨憺たる状態にあるのだが、種山もそのようなことが起こっていないだろうかと心配でここまで注意深く見て来た。幸い、そのようなことはここでは起こっていなかったので一安心した次第だ。
<*1:註> 〝この度、人首に賢治の詩碑建立〟も参照されたい。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c8/22d7287548711cb2a83b757841c5c0c6.jpg)
〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
《2 大案内板「栗木鉄山」》(平成26年9月16日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/95/1030130b3793470a10b94739e91ca8a3.jpg)
栗木鉄山
栗木鉄山は、その昔「人首鉄山」とも言いましたが、明治四十三年に人首側の栗木鉄山と山続きの伊手側の小牧倉鉄山が合併し、栗木鉄山として創設しました。…(投稿者略)…
栗木鉄山の隆盛を極めた時期は、大正二年から大正九年です。第一次世界大戦の鉄の需要に伴ってのことですが、生産高は国内の民営における、釜石、仙人峠に続いての三番目に位置し、想像以上に県内外に知られた鉄山だったのです。全盛期の労働者は二千人といわれます。…(投稿者略)…
この事業は、姥石を中心に住田と人首に跨がっての、県南西部の中では最大規模で、盛街道は精錬した鉄を水沢に運ぶための荷馬車や、鉱山関係者で大変賑わったということです。最も生産量の多いのは大正五年~七年ですので、それはちょうど賢治の訪れた大正6年と重なります。
賢治街道を歩く会
栗木鉄山は、その昔「人首鉄山」とも言いましたが、明治四十三年に人首側の栗木鉄山と山続きの伊手側の小牧倉鉄山が合併し、栗木鉄山として創設しました。…(投稿者略)…
栗木鉄山の隆盛を極めた時期は、大正二年から大正九年です。第一次世界大戦の鉄の需要に伴ってのことですが、生産高は国内の民営における、釜石、仙人峠に続いての三番目に位置し、想像以上に県内外に知られた鉄山だったのです。全盛期の労働者は二千人といわれます。…(投稿者略)…
この事業は、姥石を中心に住田と人首に跨がっての、県南西部の中では最大規模で、盛街道は精錬した鉄を水沢に運ぶための荷馬車や、鉱山関係者で大変賑わったということです。最も生産量の多いのは大正五年~七年ですので、それはちょうど賢治の訪れた大正6年と重なります。
賢治街道を歩く会
《3 小案内板「賢治と鴬峠」》(平成26年9月16日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/03/30c7a871c6e377e82bc98ec7972a7005.jpg)
つまり、簡単に言えば、賢治と「栗木鉄山」はかなり関連があると思ったからであった。
さて肝心の「栗木鉄山跡」だが、
《1 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/96/7eae0e94532b25420f7498efa63c1694.jpg)
《2 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/66/0578eb0916ad9e109de8d530eb1a7401.jpg)
「栗木鉄山」跡
路地は、大又川に沿って最大幅七〇m・長さ五〇〇mにわたって残されています。主な遺稿は石組みで造られた水路と建物の区画、第二高炉に付属する石垣、煉瓦やコンクリート礎石です。
路地は、大又川に沿って最大幅七〇m・長さ五〇〇mにわたって残されています。主な遺稿は石組みで造られた水路と建物の区画、第二高炉に付属する石垣、煉瓦やコンクリート礎石です。
《3 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/87/266439460f1811b3b481df040503b421.jpg)
《4 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/bc/0a2889cca31b37a9ad2d8234c4c39641.jpg)
《5 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/84/f398931ab068efa9279533a059927f75.jpg)
《6 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/85/8fdfa0b9845b46957ac18167d7ec6731.jpg)
《7 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7a/b759cd935da797bbdd613ccba1f452ea.jpg)
《8 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9c/11e7a4653f3a96d220fabd47aec91e5e.jpg)
《9 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/04/aa2eb9c39f88dbaf1e38bf9f50fc2ec7.jpg)
《10 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b6/44f9d56a1716ff4d7e197ed09ba543a3.jpg)
《11 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/8d/7125ce53fab1d8fe305bed99e2f4133c.jpg)
《12 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/fa/bc2119e605f4d257b680996b879a8dfa.jpg)
《13 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/52/2ee969c12f6a43de33d2e24daba76ec8.jpg)
《14 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/47/820096ba3f2449d0b8d5de40880f3c86.jpg)
《15 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/7f/bd8a2794ba4166961dbacd623c2af6c4.jpg)
《16 》(平成30年6月25日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ea/3ceabe19faceefc012d9df84f4502922.jpg)
実際にこうして跡地を目の当たりにしてみると、かなり大規模な鉱山であったことが私にも分かった。そして、好奇心も極めて強かったはずの賢治のことだ、人首を訪れた<*1>理由の一つにこの鉱山のことが関連していたであろうことが容易に想像できた。それはとりもなおさず、上掲大小二枚の案内板に賢治が登場し、しかもその案内板を立てたのは、「賢治街道を歩く会」となっていたからでもある。
同時に、当時人首に、ロシア正教とカトリックの二つもの教会があったことが私は今まで腑に落ちなかったのだが、これだけの大規模な鉱山が近くにあったことを知って、謎の一部が解け始めてきたような気がした。
なお、下根子桜や胡四王山そして大森山など、賢治縁の森などが惨憺たる状態にあるのだが、種山もそのようなことが起こっていないだろうかと心配でここまで注意深く見て来た。幸い、そのようなことはここでは起こっていなかったので一安心した次第だ。
<*1:註> 〝この度、人首に賢治の詩碑建立〟も参照されたい。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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