以前、”大森山(199.2m)(その1および2)”において『今後の課題は太陽が大森山に懸かる写真を撮ることである』という課題を残していた。
それは、胡四王山の傍にある
《1 大森山(199.2m)》(平成21年4月23日撮影)
は、いわゆる
《2 『日輪と山』》(平成21年4月23日撮影)
<『校本 宮沢賢治全集 第十二(下)巻』(筑摩書房)より>
がモデルなのではなかろうかと思うようになってきた。そこで、太陽がこのような配置にある大森山の写真を撮りたかったからである。
そこで、夏至も過ぎた6月25日この日なら朝日が望める気象条件だと思ったので早起きして出掛けた。
《3 早池峰と東雲(3:54)》(平成21年6月25日撮影)
この調子なら朝日が拝めるだろう。
ここは北上川の近くでもあり、そのせいだろうか
《4 麦秋に川霧?》(平成21年6月25日撮影)
が立ちこめている。
さて肝心の
《5 大森山(4:00)》(平成21年6月25日撮影)
は、まだかくの如し。
そこでしばし待つと、いよいよ朝日が
《6 大森山(4:37)》(平成21年6月25日撮影)
の頂きに懸かった。そして、
《7 日輪が浮かんだ》(平成21年6月25日撮影)
こうやって見てみると、賢治の絵の山の方はかなり尖んがっていてこの実際とはかなり異なるが、モデルとしてはあり得るのではなかろうかと思った次第である。
なお、この『日輪と山』が現実を描いたわけではなかろうことは明らかであろう。なぜなら、太陽が出ているのにその裏側の山の斜面にこの絵のような景色が見えることは論理的にあり得ないからである。現実の光景はこの写真《6》や《7》の様に山の斜面は殆ど真っ暗いはずである。あくまでも、この『日輪と山』は賢治の心象風景を映像化した絵なのであろう。
いずれ、賢治は夜っぴいて歩き回ることがしばしばあったはずで、或る朝このような大森山(199.2m)を見たことがあったのではなかろうか。
前の
”大森山(199.2m)(その1)”に移る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
それは、胡四王山の傍にある
《1 大森山(199.2m)》(平成21年4月23日撮影)
は、いわゆる
《2 『日輪と山』》(平成21年4月23日撮影)
<『校本 宮沢賢治全集 第十二(下)巻』(筑摩書房)より>
がモデルなのではなかろうかと思うようになってきた。そこで、太陽がこのような配置にある大森山の写真を撮りたかったからである。
そこで、夏至も過ぎた6月25日この日なら朝日が望める気象条件だと思ったので早起きして出掛けた。
《3 早池峰と東雲(3:54)》(平成21年6月25日撮影)
この調子なら朝日が拝めるだろう。
ここは北上川の近くでもあり、そのせいだろうか
《4 麦秋に川霧?》(平成21年6月25日撮影)
が立ちこめている。
さて肝心の
《5 大森山(4:00)》(平成21年6月25日撮影)
は、まだかくの如し。
そこでしばし待つと、いよいよ朝日が
《6 大森山(4:37)》(平成21年6月25日撮影)
の頂きに懸かった。そして、
《7 日輪が浮かんだ》(平成21年6月25日撮影)
こうやって見てみると、賢治の絵の山の方はかなり尖んがっていてこの実際とはかなり異なるが、モデルとしてはあり得るのではなかろうかと思った次第である。
なお、この『日輪と山』が現実を描いたわけではなかろうことは明らかであろう。なぜなら、太陽が出ているのにその裏側の山の斜面にこの絵のような景色が見えることは論理的にあり得ないからである。現実の光景はこの写真《6》や《7》の様に山の斜面は殆ど真っ暗いはずである。あくまでも、この『日輪と山』は賢治の心象風景を映像化した絵なのであろう。
いずれ、賢治は夜っぴいて歩き回ることがしばしばあったはずで、或る朝このような大森山(199.2m)を見たことがあったのではなかろうか。
前の
”大森山(199.2m)(その1)”に移る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます