みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『本統の賢治と本当の露』(136~139p)

2021-01-08 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉




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流布は冤罪であり、「賢治伝記」上の看過できぬ瑕疵である、と私は異議申し立てをしたい。

 さてこれで、私は高瀬露の本当の姿をかなり浮き彫りにできたつもりなので、露は少なくとも巷間流布してるような〈悪女〉では決してなかった、ということを皆さんには了解していただけたものと確信し、正直、片方の肩の荷は下りた。さりながら、人権がとりわけ尊重される今の時代になってさえも、捏造された〈悪女・高瀬露〉の全国的流布を憂えてそのことを公に問題提起する賢治研究家は上田哲以外には現れないのだろうか、と私この現状ずっと憂えてきたのでもう一方の肩の荷はまだまだだ。
 ……と思っていたのだが、実は時代は少しずつ動き始めているし、その動きは加速しそうだ。それはまず、平成16年に佐藤誠輔氏が論考「宮沢賢治と遠野 二(賢治と交流のあった遠野人)」を『遠野物語研究第7号』(遠野物語研究所)上で公にしていたことである。そして同論考において、
 私と妻は晩年小笠原露と同じ学校に勤めていたことがある。既に子供たちを育て終え、養護教諭となっていた彼女は、人の悪口を言わない教師として、同僚から一目置かれていた。
〈『遠野物語研究第7号』(遠野物語研究所)93p〉
と述べているように、著者の佐藤氏は職場の同僚だった露の人柄等も知っているので、巷間流布している〈露悪女伝説〉に疑問を抱き、それに与することなく、真実の露に迫っていたからである。
 次に平成27年には、雑賀信行氏が『宮沢賢治とクリスチャン花巻篇』(雑賀編集工房)を著し、その中の節「4高瀬露と高橋慶吾」において高瀬露について論じており、例えば、
 賢治は生涯、ひとりの女性ともつきあったことがなく、恋愛慣れしていなかったので、女心がまったく分かっていなかったのだ。                               〈同169p〉
と賢治の責任についても指摘したりしながら、従来の〈悪女伝説〉に疑問を投げかけているからである。
 そしてこれらの新しい動きがあるからであろうか、平成29年になると、大伊和雄氏も論考「小笠原露の賢治観」(『賢治学 第四輯』(岩手大学宮澤賢治センター編、法政大学出版部)所収)を著して、
 いわゆる小笠原露問題が近年再検討されて、その吃驚と見なされ、故意に喧伝された言動のみを声高に強調した旧来の論調に修正が加えられつつある。筆者は、賢治を聖人化するあまりにもバイアスのかかった議論にくみすることなく、資料による実証的な考察によって、真実を明快にし、かつて貶められていた小笠原の名誉を回復しようとする動向に賛同するものである。
 …(筆者略)…今般、入手し得た若干の資料等に基づいて、小笠原の正当な名誉回復に資すべく小論を著して、江湖における諸賢のご考察を承る次第である。
〈『賢治学 第四輯』(岩手大学宮澤賢治センター編、法政大学出版部)91p〉
と宣言し、実証的な考察によって従来の言説に疑問を呈し、露に関して冷静に分析・考察しながら、小笠原(高瀬)露の名誉を回復せんとしているからである。
 したがって、その動きは点から次第に面へと拡がりを見せつつあることを、とりわけこの大伊氏の論考を知って私は今実感している。そして一方では、露の濡れ衣を晴らさんとして結成された『白露草協会』も次第に会員数を増やしているから、このような動きは少しずつだが確実に拡がりを見せてゆくだろう。
  おわりに
 それでは、「仮説検証型研究」という手法等によって、「羅須地人協会時代」を中心にして今まで研究し続けてきて辿り着いた私の結論を、以下に少しく述べてそろそろ終わりにしたい。
 まず、私のかつての賢治像はどのようして出来上がったのだろうか。それは、「賢治年譜」や賢治の「定説」そして「通説」等を少しも疑わずに信じ、信じ続けてきたことによってであり、賢治は、「貧しい農民たちのために自分の命を犠牲にしてまでも献身しようとした、類い稀な天才詩人であり童話作家である」だった。そして、「やまなし」「おきなぐさ」「なめとこ山の熊」あるいは「原体剣舞連」「稲作挿話」「和風は河谷いっぱいに吹く」「野の師夫」は私の大好きな作品だった。
 ところが、定年を期に私はやっと時間的余裕ができたので、ずっと気になっていた恩師の岩田純蔵教授(賢治の甥)の嘆きに応えようとして、今まで約10年をかけて「羅須地人協会時代」を中心にして検証作業等を続けてきたのだがその結果は、常識的に考えておかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった。つまり、現「賢治年譜」は歴史的事実等には忠実ではなくて、正反対なものや果ては嘘のもあるということを明らかにできて、幾つかの隠されてきた真実や新たな真実を、延いては本統の賢治を明らかにできた。
 そこで譬えてみれば、「賢治年譜」は賢治像の基底、いわば地盤だが、そこにはかなりの液状化現象が起こっているのでその像は今真っ直ぐに建っていないと言える。当然、それを眺める私たちの足元は不安定だから、それを的確に捉えることは難しい。まして、皆で同じ地面に立ってそれを眺めることはなおさら困難だから、各自の目に映るそれは同一のものとは言い難い。したがって、「賢治研究」をさらに発展させるためには、皆が同じ地面に立ててしかも安定して賢治像を眺められるようにせねばならないのだから、まずは今起こっている液状化現象を解消せねばならない。
 そう思って私は、常識的に考えてみて現「賢治年譜」でおかしい個所が、とりわけそれは「羅須地人協会時代」に少なからずありますので、それらのいわば液状化現象を起こしている個所を一度再検証してみることが不可避だと思います、というようなことを今年の春先に「賢治学会」の幹部に話した。ところがそのせいだろうか、同学会の幹部から私は「学会に反対する人物」と昨今言われているそうだ。あくまでも「仮説検証型研究」等の手法に拠って検証した結果を私は伝えたに過ぎずないのに。残念だ。もし私に対して異議があるならば感情レベルではなく論理で迫ってほしい。ただ一つでいい、反例を突きつけて下さい。そして反例が提示されたならば喜んで仮説を棄却します。そうすることによって、研究は発展していくからです。言い換えれば、反例を提示すること以外に、検証できた私の仮説を葬り去ることはできません。
 というわけで残念なことだが、その学会の幹部の方にして斯くの如しだから、私の一連の主張が世間から受け容れてもらえることは今しばらくは難しいであろうことを充分承知している。それは、このような主張は私如きが申すまでもなく、少なからぬ人たちが既に気付いているはずであるのにも拘わらず、このような液状化現象が長年放置され続けてきたことがいみじくも示唆していると私は考えているからでもある。おそらく、そこには構造的な理由や原因があったし、あるのであろう。それゆえ、私の主張が受け容れられるためにはまだまだ時間がかかるであろうから、私は時が来るのを俟っていてもいいと思っている。

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           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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