《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。
米村氏は、今度は「奇妙な追悼集」という項を立てていた。前の項「賢治を知らず」では、当時は賢治を殆ど知らない人ばかりだったと述べていたのだが、著書等においてはではどうであったかを、この項では紹介していた。
米村氏は、まず始めに、
詩人の菱山修三は「故人については、私は何も知らない。その名も、その生前世に送った一冊の本も――つい、先頃、草野心平を介して知ったに過ぎない」と記す。
〈『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)199p〉 と紹介し、菱山に続けて、草野心平を介して賢治を知ったと言っている人の名を以下に挙げ、
高橋成直
小野十三郎
佐藤惣之助
高村光太郎
坂本徳松
これらの人たちの書いたものは、「いずれも内実は、執筆者は故人についてよく知らないままで書いていた。さらにほとんどの執筆者はその文章のなかで草野心平に紹介されたと明かす」、と述べている。
さらに、あの追悼集『宮沢賢治追悼』そしてあの「宮沢賢治研究」において、草野心平に賢治を勧められたと発言している人物は、
吉田一穂
高橋成直
黄瀛
萩原恭次郎
宍戸儀一
小野十三郎
菱山修三
土方定一
佐藤惣之助
竹内てるよ
高村光太郎
坂本徳松
伊藤信吉
の名を挙げていた。なお、このことについては、私もこの〝一から出直す〟シリーズを通じて、否が応でも気づかされていた。
それからこのことは私も以前何かで読んで、そういう事情があったのかと納得していたことだが、米村氏は次のようなことも続けて述べていた。
一九五六年刊行の『宮沢賢治全集』「月報」の文章で草野は次のような説明をする。『宮沢賢治追悼』は、当初同人雑誌「次郎」を発行する予定だったのだが、同人に加入するはずの賢治が他界したので、急遽賢治の追悼集に変更した、そのため「次郎」のメンバーが、賢治については知らなくとも、追悼集を執筆した、と。
じつは、ここには経済的な事情も絡んでいる。詩誌「次郎」の発行は計画されてはいたのだが、おもに経済的理由から実現できないでいた。そこで賢治が死去。自分たちの詩誌の代わりに宮沢家の援助で『宮沢賢治追悼』を発行することになったのだ。そして、賢治の全集の刊行が計画され、その販売促進のために「宮沢賢治友の会」が発足。しかし、このメンバーはかつての「次郎」の同人であった。
〈『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)200p~〉じつは、ここには経済的な事情も絡んでいる。詩誌「次郎」の発行は計画されてはいたのだが、おもに経済的理由から実現できないでいた。そこで賢治が死去。自分たちの詩誌の代わりに宮沢家の援助で『宮沢賢治追悼』を発行することになったのだ。そして、賢治の全集の刊行が計画され、その販売促進のために「宮沢賢治友の会」が発足。しかし、このメンバーはかつての「次郎」の同人であった。
ちなみに、この「一九五六年刊行の『宮沢賢治全集』「月報」」とは、下掲のような
【『宮澤賢治全集第十巻』の「月報1」】
のことであり、「宮沢家の援助で」があったかどうかの裏付けは私は見つけられなかったが、それ以外については草野心平が述べていることと、米村氏の述べていることは矛盾していない。なお、この月報にある、
この「宮澤賢治追悼」は「次郎社」から發刊のかたちになつてゐだが
についてはそのとおりであることは、
【「宮澤賢治追悼」の奥付】
〈『宮澤賢治 初期研究資料集成』の復刻版「宮澤賢治追悼」(図書刊行会)〉
で確認できる。
そして小倉豊文は、上掲「月報1」の草野心平の記述を引例引しながら、次のように述べていた。
本書の奥付には発行所として「次郎社」なる名が記されているが、「本当は次郎社なるものは存在しなかった。ただ『次郎』という詩の同人雑誌をつくろうとしていた。そして賢治にも同人加入の手紙を出すと」前に挙げたような手紙が来たのである。「……ところが右にあげた手紙の一ヶ月半後に賢治は他界した。『次郎』は印刷費の目あてがなかなかつかず、ぐずぐずしていたが、『次郎』のかわりに『宮沢賢治追悼』を出し、仮(ママ)空の次郎社はそのまま姿を消させることにした。そして『次郎』のときと同じメンバアで翌一〇年になつて私たちは『歴程』を発行した」と草野は語っている。
〈『宮澤賢治 初期研究資料集成●別冊●』(図書刊行会)14p〉さらに、小倉は続けて、
ところで「宮沢賢治追悼」発行の翌二月一六日、草野心平の肝入りで東京新宿のモナミで、東京の第一回宮沢賢治友の会が開かれ
ということも述べていた。「宮沢賢治追悼」の発行は昭和九年一月二八日だから、もちろん「翌二月一六日」とは、昭和九年の二月一六日のこととなる。続きへ。
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