《『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)》
鈴木 では今度はこれだ。
「押しかけ女房」としての露の行動は、賢治の死後、1939年11月発行の機関誌「イーハトーヴォ」創刊号に掲載された高橋慶吾「賢治先生」や、1943年9月20日刊行の関登久也「宮沢賢治素描」(協栄出版社)における羅須地人協会員の座談会を通じて広く知られるようになった。これに対し、露は「事実でないことが語り継がれている」と発言したほかは何も弁解しなかった。
荒木 ということは、今回は〝[ ]書き〟がないから出典はなしか。
吉田 たしかに何も書いていないからそうとも言えるが、それはあくまでも、今回の分については『宮澤賢治幻の恋人』を出典としたと「Wikipediaの高瀬露」の編集者が書いていないということだけであって、上掲の文中にあるように、
⑴ 1939年11月発行の機関誌「イーハトーヴォ」創刊号
や
⑵ 1943年9月20日刊行の関登久也「宮沢賢治素描」(協栄出版社)
は出典にしているのだろう。
鈴木 しかし私が調べてみた限りでが、「「押しかけ女房」としての露の行動は」とあるが、「押しかけ女房」という表現は少なくともこの⑴と⑵のどちらにもないんだよな。
荒木 なんだよ、またでっち上げかよ。
吉田 実は上田哲が例の論文の中で、
高瀬露の場合は、小倉豊文のことばを借りれば〈「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〉とされているのである。
<『七尾論叢 第11号』(七尾短期大学)89p>と述べているから、根も葉も全くないかというとそうでもなさそうだが……
鈴木 この件に関しては以前吉田が我々に話してくれたことがあるものなので、私もその後少し調べてみた。すると、『宮沢賢治・第九号』(洋々社)に所収されている小倉豊文の論考で次のようなことがそこに述べられていることを知った。
従来、賢治に対して「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」と伝えられており、賢治がその防衛に苦心した「話」がいろいろ伝えられているので、この際、私の把握しているところを記しておきたいと思う。…(以下略)…
<『宮沢賢治・第九号』(洋々社、1989年(平成元年)11月発行)101p>そして、上田の論文は1996年発行の『七尾論叢』に所収されているから、文言が同じことと発行年の違いに注意すれば、上田はこ論考から借りたことはほぼ間違いなかろう。
さりながら、〝「押しかけ女房」的な痴態にも及んだ「悪女」〟はそう伝えられているだけのことであり、何ら裏付けのあるものでないということがこの記述そのものから判る。
荒木 なんだよ、単なる風聞、噂話程度のものだったのか。
吉田 とはいえ、「Wikipediaの高瀬露」の編集者の記述、
「押しかけ女房」としての露の行動は、「イーハトーヴォ」創刊号に掲載された高橋慶吾「賢治先生」や、関登久也「宮沢賢治素描」(協栄出版社)における羅須地人協会員の座談会を通じて広く知られるようになった。
は少なくとも裏付けのあるものではないということはこれでほぼはっきりした。しかしそれならば、どうして鈴木は一部を赤色で塗りつぶしたのだ。しかも黄色でもなく。
鈴木 それは、もう一つ大きな問題があるからだ。
荒木 また「大きな問題」かよ。ありすぎだべ。俺は疲れちゃったよ。
鈴木 それじゃこの件は少し休んでからにしよう。何を飲もうか、珈琲それとも紅茶。
続きへ。
前へ 。
「“検証「Wikipediaの高瀬露」”の目次」へ移る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
*********************************************************************************************************
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
ご多忙な一年であったと思いますが、良いお年越をなさいまして。色々と有り難うございました。
こちらこそ、拙ブログをご訪問いただきましてありがとうございました。
そして、励ましのお言葉を頂戴する度に、折れそうになる自分にまた活力が湧いてきましたことをご報告し、御礼申しあげます。
たしかに、しばしば疾風等に襲われますが、知ってしまった以上はその真実を簡単に枉げるわけにはまいりません。
お陰様で、少しずつではありますが確実に前進しております。
つきましては、今後も焦らず慌てず諦めずに取り組むことをお約束しますので、よろしければこれからも拙ブログをお訪ね下さい。
それでは、どうぞよいお年をお迎えください。
鈴木 守