みちのくの山野草

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3116 申し訳ございません、間違いました。

2013-02-22 08:45:01 | 羅須地人協会の終焉
 私は〝『旧校本全集』の頁入れ替え〟において、
 『旧校本全集第十二巻(上)』のこの『「文語詩篇」ノート』に関しては〝頁の入れ替え〟が実は起こっていたので…
と主張したが、入沢康夫先生からその誤りをご指摘いただきました。
 入沢先生には深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
 また私が間違ったことを投稿してしまいましたために、筑摩書房様を始めとし、関係者の皆様方には大変ご迷惑をお掛けいたしましたことをここに深くお詫びいたします。

 以下に事の次第を述べたいと思います。
 その際の、私の結論は以下のようなものでした。
 一方、「新校本年譜」においては
 昭和3年 ・八月一〇日(金) 「文語詩篇」ノートに、「八月 疾ム」とあり。
となっているが、『新校本宮澤賢治全集第十三巻(下)・本文篇』においては
 昭和4年 ・八月一〇日(金) 「文語詩篇」ノートに、「八月 疾ム」とあり。
となっていて、どちらも同じ『新 校本全集』シリーズなのだが、これらの間には矛盾が起こっている。
 このようなことを考えてしまった訳は、『旧校本全集』と『新校本全集』における「文語詩篇ノート」の写真の違いからでした。
 ちなみにそれぞれは以下のとおりでした。
【Fig.5『「文語詩篇」ノート』三七、三八頁の写真】

         <『校本宮澤賢治全集第十二巻(上)』(筑摩書房)540p>
【Fig.6『「文語詩篇」ノート』三八、三九頁の写真】

         <『新校本宮澤賢治全集第十三巻(下)・本文篇』(筑摩書房)199p>
 これらを見た私は、
  【Fig.5】においては1928年(昭和3年)に「八月 疾ム」とあるのに、
  【Fig.6】においては1929年(昭和4年)に「八月 疾ム」となるではないか。
と疑問に思ったのでした。
 そしてこれに対して、入沢先生から
このノートは校異篇73頁にありますように、「左開きに使用されて」いますので、見開き左側頁は前頁の続きで、見開き右側頁の続きではないと判断されて、処理されています。当面の三八・三九の頁について言えば、左側の三八頁の内容は三九頁の続きではなく、その前の三七頁(1928年)の続きと見るべきだとの考えから、新旧両校本「年譜」等でもそのような扱いになっているのではないでしょうか。
というご指摘をいただきました。
 実はこの「左開きに使用されて」については私も気になっていたのですが、『新校本全集』の方で「文語詩篇ノート」の写真をつらつら眺めてみると例えば次のように
【左一六頁、右一七頁】

【左一八頁、右一九頁】

なっていたので、やはり、「見開き状態」が同一年次についてのメモだと思ってしまった。もしそうでなければ
【左二〇頁、右二一頁】

を見て、「一九頁」の続きとなる「二〇頁」に、「一八頁」と似たような記述『八月、九月、十月、十一月、十二月』があると思ったのだが、そのような記述が「二〇頁」にはなかったから、やはり見開きが同一年であると判断した。賢治がこのノート一枚の裏表で同一年とすることはなかろうと安易に決めつけてしまった。一般には、普通は見開きで一年間のことを考えるだろうという思い込みが私にあったからでもある。
 しかし、この度の入沢先生からご指摘をいただいて私は慌てて見直してみると、例えば
【左四頁、右五頁】

となっている。これはしくじってしまった!
 もし見開き状態が同一年とすれば、
  藤原健次郎は1911年(明治44年)に亡くなった。
こととなる。しかし、
  健次郎が亡くなったのは1910年(明治43年)9月29日。
のはずである。
 やはり、このノートの裏表で同一年なのだということを覚った。またしても、詰めの甘かった自分に恥じ入った。

 皆様方には大変ご迷惑をお掛けいたしましたことを改めて詫びいたします。

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2 コメント

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勘違いや間違いは (入沢康夫)
2013-02-22 09:27:32
勘違いや間違いは誰にでもあることです。賢治そのひとにだってありますし(例:ヒデリ~ヒドリ)、私などもよくやります。どうか、これにめげず、がんばって下さい。
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本当にありがとうございました (鈴木 守)
2013-02-22 19:22:35
入沢 康夫 様
 今晩は。
 今までちょっと外出しておりまして、ご返事が遅くなってしまいました。
 さて、この度は私の間違いを御指摘いただきまして、本当にありがとうございました。
 またもや私の詰めが甘かったことに恥じ入り、深く反省しておりました。
 そこへ、わざわざこのようなお言葉を賜りまして、恐縮しております。そして感謝しております。
 お陰様で、もうちょっとだけ賢治の周辺を訪ね歩き続けようと思えるようになってまいりました。
 これからもどうぞご指導の程よろしくお願いしいたします。
                            鈴木 守

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