《ゴムの短靴(『昭和の学校』所蔵・展示、(平成30年4月22日撮影)》
過日の投稿〝ダルマ靴はこれでしょう(ぐっち様へ、報告です)〟において、『昭和の学校』の案内用のリーフレット
に載っている下掲のような短靴
を紹介した。
一方で、以前〝ダルマ靴について(ぐっち様へ、追加情報です)〟で取り上げ「ダルマ靴」についてだが、その影像は下掲のようなスケッチだった。
《ダルマ靴のスケッチ》
<『川井村民族誌 民具編』(川井村教育委員会)16p>
したがって、これらの二つはそっくりだったから、
当時賢治が愛用したといわれているダルマ靴とは、このリーフレットの短靴ようなものだったと判断して間違いなさそうだ。
と報告した次第だ。
しかも、一年程前(平成29年3月31日)の賢治関連のある集まりの際に、ご年配の方(85~95歳に見えました)お二方に賢治のダルマ靴のことを訊ねた。するとお一人は、
賢治はダルマ靴を履いていたということだが、それはゴムの短靴です。
と教えて下さったし、もうお一方も同じようなお話しだった。したがって、
ダルマ靴とはゴムの短靴である。
ということはこれでまず間違いないと判断できた。
そこで今度は、『昭和の学校』を再訪し、
宮澤賢治が当時履いていたというダルマ靴が実際にはどのようなものであったかがどうも公になっていないようです。ところが、この短靴がそれにあたると思われますので、拙ブログにその写真を載せて皆さんにそれを知ってもらいたいので撮影させていただけないでしょうか。
と、短靴の写真撮影を願い出た。すると、同館からは撮影と掲載の許可を快諾して頂いた。それらが、このブログのトップの写真及び下掲の写真であり、
《1 ゴム製の》(平成30年4月22日撮影)
《2 こんなマーク(『ミツウマ印』かな)の》(平成30年4月22日撮影)
《3 サイズは21.5㎝の》(平成30年4月22日撮影)
ゴム製の短靴であった。
そこで皆さんにご案内いたします、このゴム製短靴を実際にご覧になりたい方は『昭和の学校』をお訪ねになり、二階の「靴屋」コーナーに行ってみて下さい。ガラスケースの一つにそれは展示されております。
なお、HPによりますとその概要は、
山の駅 昭和の学校
〒025-0253 岩手県花巻市下シ沢字牛角86-1
TEL.0198‐29‐4919
開校時間 4〜10月9:00〜17:00(最終入館16:45)
11〜3月10:00〜16:00(最終入館15:45)
入場料 大人500円 お子様(小学生以下)300円
休校日 毎週火曜日(祭日の場合は翌日休校) 年末年始
となっております。〒025-0253 岩手県花巻市下シ沢字牛角86-1
TEL.0198‐29‐4919
開校時間 4〜10月9:00〜17:00(最終入館16:45)
11〜3月10:00〜16:00(最終入館15:45)
入場料 大人500円 お子様(小学生以下)300円
休校日 毎週火曜日(祭日の場合は翌日休校) 年末年始
ただし、ここで少し問題が生じてきた。
まず第一に、このゴム製の短靴がそれほど高価な物だとは思えないからである。例えば、賢治の教え子の照井謹二郎は、「ダルマ靴というのはなかなか高価なもので、普通の農民には手のとどかないものでしたな」と言っていたという。
そして第二に、私の友人の一人も、
祖父はダルマ靴とマント(多分インバネスコート)を愛用していたが、そのダルマ靴は結構立派な物でした。
と言っていたからである。したがって、近々この友人にこのゴムの短靴の写真を見てもらって、その感想を訊く必要がある。
なお、その後、このゴム製短靴が「ダルマ靴」であると判断して間違いないということを、岩谷堂の老舗である「ふなばの川村」というお店をお訪ねしたことによって確信できた。
なお前回は気付かなかったのだが、『昭和の学校』の入口に張り付けてあった
《4 往時のホーロー看板群》(平成30年4月22日撮影)
を見ていたならば、
《5 「熊の皮売ります」の看板》(平成30年4月22日撮影)
もあることに気付いた。
これも往時の看板であろうか、それとも『昭和の学校』では現在それを売っております、という案内なのであろうか。
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昭和10年生まれの母が子供の頃だるま靴を履いていたそうです。
母が言うには、東京から夏休みに訪ねて来た親類のお母さんがお妾さんの子が当時レースの靴下に革靴で、洋服も綺麗で姉妹でびっくりして見惚れたそうです。自分達は裸足にだるま靴だったと。
興味深いブログありがとうございます。
自信が無いのですが、私が調べることが出来たのはこのようなことでした。
鈴木 守