みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3899 「素顔の宮澤賢治」より(#1)

2014-05-01 09:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
変容してしまった下根子桜時代の賢治像
 今まで少しく賢治のことを調べてみた結果、少なくとも下根子桜時代における賢治像に関しては、かつて私が抱いていものからはかなり変容してしまった。そしてそれは、板谷栄城氏が『素顔の宮澤賢治』において展開しているそれと似ているということを知った。
 板谷氏は同書の「はじめに」を次のように切り出していたからだ。
 宮澤賢治に心ひかれる人ならたいてい、「その生涯を気高い考え方とひたむきな生き方をもってつらぬいた理想的な人間」という賢治像をおもっておられるでしょう。しかし、「どうしてそのような賢治像をもつようになったのか?」と尋ねられて即座に答えられる人は少ないはずです。そしてしばらく考えてから、「そういう人だったと、みんながいっているから、ただなんとなく」と答える人もおられるでしょうし、中には自分の読んだ書物の名をあげて、「そのように書いてあったからそう思ったのですが、まちがいですか?」と逆に問い返す方もおられるかもしれません。
 「まったくまちがいではありませんが、まずまちがいといっていいでしょう」というのが、それに対する答えです。というのは今まで世間でそのように信じられ、またあがめられてきた賢治像の多くが、極めて強い先入観によって色づけされた見方、そもそもその先入観に都合のよいような賢治の一面だけに目をつけた、おそろしく偏った見方によって創りあげられたものだからです。
              <『素顔の宮澤賢治』(板谷栄城著、平凡社)9pより>
 たしかに、かつての私の抱いていた賢治像は、板谷氏の表現を借りればまさしく「その生涯を気高い考え方とひたむきな生き方をもってつらぬいた理想的な人間」であり、ストイックで求道的、おのれの命を削りながら貧しい農民のために献身した賢治だった。
 しかし一方で、私が学生時代に賢治の甥から直接教わった
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私は色々なことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋られなくなってしまった。
というような意味の発言が私はずっと気になっていた。
 そして実際、下根子桜時代の賢治のことをここ数年検証してみたところ、その気がかりは現実のものとなってしまった。少なくとも下根子桜時代の賢治については、板谷氏の表現を借りれば
 「まったくまちがいであるというわけではあませんが、かなりまちがっているといっていいでしょう」
というのが私の辿り着いた現時点での結論である。

 続きへ。
前へ 

みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3898 高松観音のコスミレ(4/29) | トップ | 3900 「経埋ムベキ山」権現堂... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治渉猟」カテゴリの最新記事