みちのくの山野草

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4113 小保方の「論文不正」と「賢治年譜・伝記」

2014-07-29 09:00:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
改竄、捏造、不正
 この7月27日の「NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層」を観た。一部のマスコミはその番組内容は“強気姿勢”だとしていたが、私から見れば冷静で客観的な報道姿勢であり、至極真っ当な報道であるとしか思えなかった。
 その中で私が新たに知ったことで特に驚いた点は次の2つである。
(1) 大阪大学などの複数の大学教授が小保方晴子の論文を分析した結果、「理研が不正認定したのは2点だが、140点ある画像、グラフの7割以上に、何らかの疑義、不自然な点があるとの指摘があった」ということ。
(2) 小保方の研究室の冷凍庫から見つかったES細胞が「別の研究で解析中のもの」であり、昨年別の場所に移動させているべきものだったと指摘し、このES細胞を作ったという学生が「びっくりした。私が小保方さんに渡したものではない」と証言しているということ。
 もう既にNature 誌はこの7月2日に、件の論文を取り下げたからその論文の不正はもう確定しているわけだが、このような新たな疑義や疑惑等があったということを新たに知り、改竄、捏造、不正などその深い闇に恐ろしさを抱いてしまった。もはや、科学の世界でのことであると云うことで済ますわけにはいかなくなったようだ。
 なお今何が問題なのかというと、小保方晴子の論文不正があくまで大問題なのであり、これは「STAP細胞の有無」とは別問題だから切り話てして考えるべきものである。今言えることは件の小保方の論文ではSTAP細胞の存在は示すことはできなかったという厳然たる事実であり、小保方晴子はこの「不正論文」をNature 誌に投稿したことによって科学者であることを自分自身で否定してしまったということに尽きる。したがって、理研がSTAP細胞の再現実験を小保方にさせるということは、私の「常識」ではあり得ない。理研は二重の間違いを犯していて、利権に目がくらんでいるとしか言いようがない。

対岸の火事ではない
 そして、この番組を観ながらこの構図は何かに似ているということに私は気付いた。改竄、捏造、資料の不正使用によってあたかもそれらが真実であるかのごとくに創りあげられていったしまったというおそれがある「宮澤賢治年譜」や「宮澤賢治伝記」のそれに、である。具体的には例えば、“昭和2年の上京及び約3ヶ月の滞京”“昭和3年8月の下根子桜撤退”“高瀬露の<悪女伝説>”“下根子桜時代の「独居自炊」”などがそれである。 
 いみじくも、同「NHKスペシャル」は、防止する機会が何度もあったのにそれを漫然と 見逃し問題を巨大化した CDB の指導層に大きな過失責任があった、と指弾していたが、これは宮澤賢治に関しては全く無関係なことであり、対岸の火事であると安閑としていていいのだろうか。
 先に日本学術会議が、「STAP細胞事案は、研究全体が虚構であったのではないかという疑念を禁じ得ない段階に達しています」と極めて厳しい声明を発表しているが、現「宮澤賢治年譜」編纂に関わってきた人たちや著名な幾つかの「宮澤賢治伝記」の著者たちにそのような機会が何度かあったのに、それを漫然と見過ごしてきたということはなかったのだろうか。そして私たちは、実はこれらの中には極めて看過できない重大な瑕疵があった、あるいは人間の尊厳を傷つけてきてしまったという疑念に対して、いままでのような無頓着でいていいのだろうか。ここは、他山の石として捉えるべきではなかろうか。

この度のNHKの姿勢に敬意とエールを
 私は昨年、この“昭和2年の上京及び約3ヶ月の滞京”に関して情けない経験をした。というのはこのことを拙著『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』において検証したのだが、この件に関して宮沢賢治奨励賞受賞者のH氏等からブラフを含めたクレームをいただいた。その顛末については“一連のクレームから透けて見えること(増補版)”等をご覧いただきたいが、H氏自身は「鈴木さんの「賢治昭和2年上京説」は、なかなかはっきりとは否定しにくいというのが現状のようです」と認めておきながら、世にも奇妙な「一本足」なるものを持ち出して、現時点では反例も出ていない私の「宮沢賢治昭和二年上京仮説」を否定しようとし、あろうかとかそのために、「賢治は昭和15年11月に上京した」という仮想を検証もせぬまま持ち出して、全く科学的でないクレームをつけてきたというものである。それも、「signaless」さんや「とおりすが」さんそして「テジマア」さんという方々と一緒に束となってである。しかも一方でH氏はツイッター上で私のことをおもしろおかしく仲間同士で論っておられた。
 しかし、結局は私の仮説をH氏等は崩すことが出来なくて最後にはブラフをかけてきた。「このまま行くとほんとうに墓穴を掘ることになります」とか「正義のためと思って戦っていたつもりが、知らないうちに「フォースの暗黒面に堕ちていた」ということになりますが、これが私はとても心配なのです」というような。しかしそれに対して私はあまり反論しなかった。それは、今の時代でもこんなことをする宮沢賢治賞受賞者等がいるんだと情けない気持ちになったからだ。
 すると今度はH氏は態度を変えて、「すでに販売・贈呈したご著書を、回収しろなどということまでは申しません。ネット上にアップしておられる内容を、せめて誤解やデマの元にならないように改めていただけないかということが、私の願いです」と懇願してきた。もちろんそんなことを私は受け入れることなどはしなかった。その理由がないからである。そんな中途半端な気持ちで私はブログに投稿したり、自費出版しているわけではない。
 まあそれもこれも、そんなブラフや圧力があったとしても私の場合には元々何も失うものがないからそうできるのだが、NHKの場合にはそうもいかないと思う。にもかかわらずこのような番組を、しかもあの「取材トラブル」があったのに毅然と放映したという姿勢と勇気に私は大いなる敬意を表する。そして、そこにNHKの矜恃を見た。最大限のエールを送りたい。ついては今回の報道によって、担当者が不当な圧力や不利益な扱い等を受けないことを切に願っている。

 関連する
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2 コメント

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Unknown (さぼ)
2014-07-29 21:59:56
 いつもブログを楽しく拝見しております。鈴木様も論戦がんばってください。実は、小生も岩手で研究者(理系)をやっているものです。
 小保方氏の件については、彼女が「publication」の意味を誤解してたことそしてそれを教育できなかった周りに問題があるのかもしれません。
 「publication」は、「論文を書く」などの和訳がネットでは出てきますが、正しくは、「publicなものとすること」つまりは、「自分の考え、理論を公のものとすること」を意味すると思います。
 研究者たるものとして、虚栄心や自己顕示欲のために論文や論評を書くのではなく、皆が納得できる論理や技術を公のものにしていくべきだと思います。小保方氏もH氏も公のものとすることの意味を考えてほしいものです。なんて偉そうなことを言えるほどのものではありませんが・・・すみません。
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いつもありがとうございます (さぼ様(鈴木))
2014-07-30 07:20:41
さぼ 様
 お早うございます。
 いつもありがとうございます。
 とりわけ、「publication」なるものの意味を初めて知ることができました。
 そして仰るとおりで、周りにもかなり問題がありそうですね。それから、私自身の戒めにもしたいと思っております。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
                                                               鈴木 守
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