《創られた賢治から愛すべき賢治に》
こうして〈悪女伝説〉を検証して来てみて感ずることは、如何にそれが真実からかけ離れているかということだ。ではなぜこの伝説が巷間広まってしまったのかというと、簡潔に言えばその原因の大半は、「昭和六年七月七日の日記」の記述内容を少なからぬ「賢治研究家」が真に受けてそれを再生産してきたからだ。そこにおける高瀬露に関する記述内容の多くが創造であり、捏造であったのである。つまり、ほぼこの捏造がこの伝説をでっち上げてしまったとも言える。それにしてもなぜ、上田哲以外の名だたる賢治研究家はこのことを検証してこなかったのだろうか。
一方、最近例の「小保方事件」のマスコミによる報道はすっかりなりを潜めてしまった。どうしたというのだろうか。そう思っていたところ、今日(8/26)次のようなのヤフーニュース
のコメントを見ていたところ、
不適切な表現を含む可能性があります。
という注意書きのあるコメントが幾つかあった。そこでそのうちの一つを表示してみたところ、その部分は
となった。一体これのどこが不適切な表現なのだろうか。マスコミが最近萎縮しているということではないだろうか。
あの論文は一人の女性がありうべからざる改竄と捏造を犯してしまった紛れもない不正論文であり、この論文の不正によって日本の科学界等が受けたダメージと損失は計り知れない。そしてある意味、世界の嗤われ者になったということは否定できないはずだ。しかもその不正が明らかになったというのに、この女性に対しては未だ何ら処分が為されていない。
翻ってみて、このことと先の「検証してこなかった」こととが通底している気がしてならない。そこに相似性を見てしまう。どちらにも捏造という魑魅魍魎が今でも蠢いている。そしてうやむやなままだ。
事実を知り、真実を探ることを私たちは恐れてはなならない。
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