みちのくの山野草

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松田甚次郎のふるさと新庄(12/4、中編)

2018-12-08 08:00:00 | 賢治関連
〈「松田甚次郎の特設コーナー」〉(平成30年12月4日撮影)
 さて、私は前回
 その際に嬉しかったことの一つが、12月4日に訪れた山形県新庄市のあの『新庄ふるさと歴史センター』でのことである。
と述べたが、それはこの投稿のトップ「松田甚次郎の特設コーナー」を見ることができたからである。ちなみに、今から9年前(平成21年11月10日)に訪れた際の
《1 当時の「松田甚次郎の特設コーナー」》

             〈月刊『素晴らしい山形』1991年,12月号より〉
と較べてみていただければ一目瞭然、それが今回はこんなにでっかくなっていて、展示室の長辺全部が松田甚次郎のコーナーになっていたからだ。
《2 》(平成30年12月4日撮影)

《3 》(平成30年12月4日撮影)

 これは取りも直さず、約9年間に松田甚次郎の評価が如何に高まったかということを如実に物語っていると判断できたのだった。

 実際、今から9年前に同センターを訪ねた際の私の感想は、
 建物の2階が『新庄市民俗資料館』になっていてそのフロアーに「郷土人物館」というコーナーがあり、そこに松田甚次郎に関する展示(《1 当時の特設コーナー》の写真参照)があった。ガラスケースの中には松田甚次郎の日誌の展示もあって興味深かった(もちろん閲覧は出来なかった)のだが、正直言って思ったよりはその展示資料の量・内容はあまり豊富でなかった。甚次郎は戦意昂揚に協力したと見なされてあまり評価されていないせいなのだろうか。はたまた、(ここ新庄においてさえも)松田甚次郎に関する評価が未だ定まっていないせいなのだろうか。
というものであった。そしてその際に対応して下さった館員の方は、「松田甚次郎の評価は功罪相半ばしている」と言っておられた。
 それが、9年後になるとこれだけ評価されるようになったのだ。そしてそれは、生前全国的にはほぼ無名だった宮澤賢治及びその作品を初めて全国規模で世に知らしめた最大の功労者はと言えば(今では「賢治学界」では殆ど忘れ去られてしまっている)、それは松田甚次郎なのだから、これ一つとってしても当然のことである<*1>。だから私は、その松田甚次郎がやっと再び評価され始めているのだということを実感して、抃舞、とても嬉しかったのである。
 おそらく、近江正人氏らの熱心な取り組みがその最大の理由だろう。

<*1:註> 松田甚次郎が評価される点はもちろん他にも多々ある。

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