みちのくの山野草

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高村光太郎と庚申講

2024-02-05 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、(財)高村記念会))〉

 『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、(財)高村記念会)中に、
   (5) かのと講への招待
という項があり、そこに次のような記述があった。

 昭和二十二年秋のことです。…(略)…関上場と久保の人たちが毎年開いている「かのと講」へ先生を招待しました。その年の宿は、久保の仁右衛門さんのところでした。
 小原金二さんがお迎えにあがってご案内し、開拓の道を西山の方に行き、そこから、山の斜面を切り崩して作った、人ッコ一人ようやく通る小道を下って、寒沢川のほとりの三戸の、久保仁右衛門宅に着きました。
 仁右衛門さんの家には、大勢集まって餅つきや料理の支度をしていましたが、先生の姿を見ると、みんなが大喜びでご挨拶をしました。山道を三キロも歩いた疲れを忘れたように、歓迎に応えてくれました。
 …(略)…
 先生は一番の上座です。一言ご挨拶があり、あとは、大きな杯でお酒がやりとりされ、一緒に飲み、一緒に食べ、賑やかな席となりました。学校へ通っている子どもたちは、先生と顔見知りになっておりましたので、「先生がお振る舞いに来てくれた。」と大はしゃぎでした。
 こうして、一年の「秋仕舞いの講」である「かのと講」は、大人も子どももみんな一緒になって、お餅やいろいろなご馳走食べながら、楽しい盛り上がりとなりました。先生も大へん喜んでおられましたし、関上場と久保の人たちも、「先生に一口でも差し上げたい。」という願いがかなえられ大満足でした。
             〈『山口と高村光太郎先生』(浅沼政規著、(財)高村記念会)21p~〉

 この文章を読んで次の二つのことが特に興味を引いた。   
 その第一は、如何に高村光太郎が太田の人達から尊敬され、愛され、そして慕われていたかということである。そしてそれは大人からだけでなくて子どもたちからもであったことである。
 そしてその二は「かのと講」のことである。以前花巻市の太田に住んでいるある方から太田では「庚申様」のことをたしか「おかの様」と云うというようなことを教えて貰ったことを思い出し、このことと併せてこの文章の説明からこの「かのと講」とは所謂「庚申講」の事ではなかろうかと直感したことである。以前、「仕舞いの庚申日(その年の最後の庚申日のこと)」には特に賑やかに飲み食いをしたと聞いたことがあったから、太田に住むようになった光太郎は庚申信仰が盛んな地元の人達からその日に招待されたのではなかろうかと思ったのである。
 そして、この「かのと講」があの「庚申講」であったことは『高村光太郎山居七年』(佐藤隆房著、(財)高村記念会)という著書において、次のように
   七一 かのと祭
 …秋じまいがすんで、一年の労苦をねぎらいあい、酒や餅のご馳走で中楽しみ合う振舞いです。毎年交替で宿をもち、旧十一月頃のかのとの日に行う庚申講で、関上場と久保の計十数戸が講中で……
              〈『高村光太郎山居七年』(佐藤隆房著、(財)高村記念会)127P~〉
と顕わに「庚申講」と書いてあったことから確認出来る。

 なお、この日には次のようなことも語り合ったと上掲書には書いてあった。
 今年の作やキノコの話、クリの話、山葡萄や山菜の話など飲みながら食べながら先生をかこんで和やかな一時をおくりました。

 ということで、これらの著書から当時の民間信仰「庚申様」のことや、「仕舞いの庚申日」の中身などがかなり具体的に見えてきた。 
 なお、佐藤隆房の同著はこの庚申講に招かれた際の光太郎の所感についても触れており、
 「まことにいい集まりですね。子どもたちまでみんなそろって面白くごちそう食べて楽しむのは……本当にいいことだ。詩でいうと『美なるかな』というところです。」
ということであったという。光太郎の人柄を偲ばせる。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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