〈 国定教科書『中等国語一 ⑴』(吉田矩彦氏所蔵)〉
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遥か以前の〝1210 一日に玄米三合〟で既に報告したものだが、その際に使っていた映像の本物の教科書をこの度先輩から見せてもらったので、入れ替えてみた(2020年9月5日)。
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以前から、戦後の国定教科書に採用された賢治の詩「雨ニモマケズ」が『一日に玄米三合』と変更されていたということを聞いて気になっていた。そこで、当該の教科書を実際に見てみるとたしかにそうであった。ちなみに、その
【1 国定教科書「中等国語一」の目次】
タイトルはひらがなになっており、
【2 「三 雨にもまけず」】
【3 〃の続き】
中身もひらがな書きになってる。
【4 同教科書の奥付】
さて肝心のものも、『一日に玄米三合』となっている。このあたりの経緯について、中地 文氏は『教育面における「賢治像」の形成』の中の(二)「文部省著作教科書登載」に、石森延男の言として次のようなことを載せている。
戦後、わたしは、国定の国語教科書としては、最後のものを編集した。終戦前に使用していた国語教材とは、全く違った基準によってその資料を選ばなければならなかった。日本の少年少女たちの心に光りを与え、慰め、励まし、生活を見直すような教材を精選しなければならなかった。そこでわたしは、まずアンデルセンの作品を考えた。(中略)日本のものでは、賢治の作「どんぐりと山猫」を小学生に「雨にもまけず」を中学生のために、「農民芸術論」を高校生のために、それぞれかかげることにした。この三篇は、新しく国語を学ぶ子どもたちの伴侶にどうしても、したかったからである。
<『修羅はよみがえった』(宮澤賢治記念会、ブッキング) 92p~>さらに、中地氏は同著で
とはいえ、教科書編纂の過程で、連合国軍総司令部民間情報教育局の係官から「雨にもまけず」の「玄米四合」を三合にするようにと言われ、宮沢家に了解を取りに行ったのは石森延男であった。そのときの状況を回想した「「麦三合」の思い出」に、石森は「一字のために全文を削除されるより、少しの改めをしても、その精神を、子どもたちに味ってほし」かったと記している。
〈94p〉と紹介している。
さて、さりながら、他人の作品を書き変えるということははたして如何なものだろか?
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《発売予告》 来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))
を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について― 森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露― 鈴木 守
の三部作から成る。
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露― 鈴木 守
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