みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「このなにやら詐術めく引用」

2019-12-21 18:00:00 | 虫の眼だけでなく鳥の眼にも
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

吉田 そう言われても仕方が無いと思う。
荒木 ところで、さっきの入沢康夫さんの「このなにやら詐術めく引用とは、何んのこっちゃ?
鈴木 それはさ、故入沢康夫氏は『賢治研究 121号』において、次のようなことを論考「「ヒドリ」「ヒデリ」問題のその後」の中で述べているんだ。
 (一)「ヒデリに飢饉(けがち)なし」という俚言があり、「ヒデリ」は農家が困ることではない。
   …(投稿者略)…
 (一)についても、私は「おおまかな一般論はそうであっても、賢治は実際に個々の旱害による農民の苦しみを知っており、作品の中にも数多くの言及を遺している」という所見を既に繰り返し述べている。わけても、大正十三年、十四年、十五年の旱害で、紫波郡を中心とする農民が、いかに悲惨な状況に陥ったかは、Web上で花巻在住の鈴木守氏が主宰しておられるブログ「みちのくの山野草」(二〇一〇年の二月下旬から三月上旬にかけての数回)に、当時の新聞記事の写影を何種類も引用しながら紹介されている通りで、これに賢治が心を痛めなかったわけがない。
              <『賢治研究 121号』(宮沢賢治研究会、平成25年8月31日)2p~より>
 そしてまた、
 このなにやら詐術めく引用の仕方については、先にも触れた花巻の鈴木氏が「みちのくの山野草」の二〇〇八年十一月三〇日付「和田文雄氏の『ヒドリ』」、同年十二月一日付「『南部藩百姓一揆の研究』の78P」、同年同月二日付「『日用取=ヒドリ』の新たな検証を」の三回を使い、森氏著書の該当部分の写影をも添えて、指摘しておられる。(じつは、私もまた、森氏の著書にはたして「ヒドリ」の語が使われているのだろうかと、確かめるつもりで、年金生活の身にとってはかなりきびしい額であったが、この本を古書肆で需めて読み、和田氏の引用の仕方を甚だ疑問に感じていたところだったので、鈴木氏がこれを取り上げて疑義を呈されたのには、わが意を得たりという思いだった。)
              <『賢治研究 121号』(同)4p~より>
とも述べてるんだが、この「このなにやら詐術めく引用」」のことだ。
荒木 そっか、そういうことな。ところで、この「鈴木氏」とはお前のことか。
鈴木 うん、ありがたいことに。そこで私は入沢氏のこの論考「「ヒドリ」「ヒデリ」問題のその後」を知って、もしかすると、当初はあまり自信がなかった一連の私の投稿だったのだが、正鵠を射ているかどうかはさておき、実は案外いい線までいっているかもしれないとお陰様で自信を持つことができたのさ。そしてそれは、やはり自分の目で実際に当該の資料を見てみることの大切さを入沢氏から教わったということでもあった。
 それと同時に、石井洋二郎氏が平成26年度の卒業式の式辞で、
    あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみる
ということや、
    健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証
するという姿勢の大切さを訴えたわけだが、入沢康夫氏は既にそれ以前の平成25年の8月時点で、そのような姿勢の大切さを公の場(『賢治研究121号』)で訴えていたということを改めて確認できて、私はとても嬉しかった。
吉田 要するに、「このなにやら詐術めく引用の仕方」とは、『賢治研究 121号』(宮沢賢治研究会、平成25年8月31日)の3p上段の左から4行目~4p下段右から8行目において、詳しく論じられていることであり、荒っぽく言うと、先の写真【和田氏と森氏の当該ページ】の比較から一目瞭然だが、
 森嘉兵衛の『新田開発の奨励』(『南部藩の百姓一揆の研究』)の方になくて和田氏の方(『宮沢賢治のヒドリ』71pの南部藩の資料)にあるのが、この南部藩の指令書のタイトルであり、さらにそのフリガナである。
 つまり、一次資料とも言える森嘉兵衛の著書の資料の方には
    ”『南部藩の「日用取」の指令』というタイトルも、まして「ヒドリ」というフリガナもなかった”
のにもかかわらず、和田氏は『宮沢賢治のヒドリ』の71pにおいてその一次資料に、
    ”新たにタイトル『南部藩の「日用取」の指令』を付け、しかも「日用取」に「ヒドリ」というフリガナも付けた加えた
ということになる。これでは、勝手に他人の資料をいじくったと言われても、「このなにやら詐術めく引用の仕方」といわれても致し方なかろう。
荒木 要は、和田氏は典拠としている資料を改竄したと言われてもしょうがないということか。たしかに致命的なことをしてしまったね、まさに天に唾を吐くような行為だべ。
吉田 その上にY氏は、ご自身では良くお調べにならずにそのような和田氏の主張を鵜呑みにして、しかもそのことを幾度も、具体的には、
・『宮澤賢治のヒドリ』(和田文雄著、コールサック社、2008年)
・『遠野物語と21世紀東北日本の古層へ』(石井正己・遠野物語研究所編、三弥井書店、2010年4月)
・『デクノボー 宮沢賢治の叫び』(山折哲雄/吉田司、朝日新聞出版、2010年8月)
・『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社、2019年)
等で繰り返し論じているということになる。
荒木 ということは、和田氏の「このなにやら詐術めく引用」をY氏は未だ気付いていないっていうことか。

 続きへ
前へ 
 ”「虫の眼と鳥の眼」の目次”に戻る。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イギリス海岸(12/19、残り) | トップ | イギリス海岸(12/21、日の出) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

虫の眼だけでなく鳥の眼にも」カテゴリの最新記事