みちのくの山野草

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『本統の賢治と本当の露』(76~79p)

2020-12-24 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉




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 したがって、吉本隆明がある座談会で、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。           〈『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p〉
と語っているような程度のものが賢治の稲作指導等の実態であったということを、私はそろそろ受け容れる覚悟をせねばならないようだ。
 それは当の賢治自身もしかりで、昭和5年3月10日付伊藤忠一宛書簡(258)における、
根子ではいろいろお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。       〈『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)〉
という記述から、いみじくも「羅須地人協会時代」における賢治の農民に対しての献身の実態が容易に窺えるし、「根子」における賢治の営為がほぼ失敗だったことを賢治は正直に吐露して恥じ、それを悔いて謝っていたのであろうことも窺える。
 するとそこから逆に、「羅須地人協会時代」の賢治は当時農家の大半を占めていた貧しい農家・農民のために徹宵東奔西走していたとは言えそうにないということが示唆される。もしそうしていたならば、これ程までの自嘲的な表現はしなかったであろうからだ。まさに、「宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなもの」だったという吉本の先の言説とこの自嘲は見事に符合している。
 そこで私に閃いたことは、だからこそ、昭和6年の11月にあの手帳に書いたいわゆる「雨ニモマケズ」、
  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラッテヰル
  一日ニ玄米四合ト
  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニ
  ヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
  小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒデリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
のここまでは、基本的には賢治とすれば「下根子桜」でできなかったり、はたまたそうしたりしなかったことばかりであり、それゆえ最後に、
  サウイフモノニ
  ワタシハナリタイ  〈共に『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)〉
と締め括って悔恨し、懺悔して願ったのだということだった。
 ちなみに、「羅須地人協会時代」の賢治が「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たとも言えなければ、はたまた「サムサノナツハオロオロアルキ」をしようと思っても土台無理だったことは前々節〝㈢〟と前節〝㈣〟でそれぞれ既に実証したところである。また、「小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ」については検証するまでもなく直ぐに納得できる(あの「羅須地人協会」の建物がどんなものであったかを思い浮かべればいともたやすく了解できる)。あるいは、「一日ニ玄米四合ト」についてもそうだ。それは、昭和7年6月1日付書簡下書が当時の賢治は玄米食などしていなかったということを端的に教えてくれる(〈註十〉)からだ。そして他の連も、よくよく考えてみると皆そうでなかったり、そうできなかったことばかりだ。それ故にこそ、賢治は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と願ったのだと私にはすんなりと了解できた。
 つまり、例えば、「羅須地人協会時代」の賢治は「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」たとか「サムサノナツハオロオロアルキ」とかいうことはなかったから、彼はこれらのこのことを悔い、これからは「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」たいと願ってこの連を認めたということになるはずだ、と了解できた。
 するとこれと同じ論理で、先に述べた(70p)ように賢治の稲作指導法はもともと貧しかった大半の農家にとってふさわしいものではなかったのだから、巷間言われているような賢治像からすれば、
「羅須地人協会時代」の賢治は貧しい農民たちのためにあまり献身できなかったからその悔いが残るので、「貧しい農民たちのために献身したい」という内容の連も詠み込まれて然るべきだ。………②
となるはずだが、その連がないという事実は一体何故なのかが私にとっては今までずっと疑問だった。

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           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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