みちのくの山野草

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「一本足」論争(経過報告9)

2024-07-15 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(2021年6月25日撮影、岩手)

*****************<(24)↓投稿者H氏/2013年10月11日 01:12>**********************
鈴木さん、こんばんは。
今日は日中ばたばたしていましたもので、お返事が遅くなってすみませんでした。投稿者の名前については、ご要望に合わせて、本名にさせていただきます。

さて、お待たせしていきなりで恐縮ですが、鈴木さんの書き込み中ほどの、

私が問うたことに対して、hさんはこの「十一月」は正しいと思っているとは結局一言も言っておらず、間違いであると言える、これこれの可能性があるということをいろいろと述べているだけです。可能性なら何でもありですから、この場合何ら意味を持ちません。したがって、hさんは「十一月」は間違っていると言っていることと同じになります。

というところなどは、前便で私が指摘させていただいた「全か無か」の思考法の、またまた典型例ですね。
確かに私はそこで、「正しい」という言葉は使わなかったかもしれませんが、それがすなわち「間違っていると言っていることと同じ」になるという論の運びには、けっこう凄いものがありますよ。さすがの鈴木さんでも、今あらためてご自分で読み返されたら、これはちょっと論理が飛躍しているかなあと、お思いになりませんか?
で、それに続いて、「イエスかノーかで答えよ」(また全か無か!)で来られるんですから・・・。

まあ、私の書き方もわかりにくかったのかもしれませんから、ここではシンプルに、わかりやすく、お答えします。

「その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした」における「十一月」は、沢里の言い間違いではないと、私は考えています。
そう考える理由は、10月8日18:47の私の書き込みに書いてあります。

それから、鈴木さんのブログの「3557 澤里の「どう考えても」について」という記事、拝読させいただきました。
最後の「あるご助言」という部分を除けば、すでに鈴木さんがブログやご著書で述べられていることと、重複する内容ですね。
そして鈴木さんは記事の最後を、「この方はこの「伏線」をお調べになっていらっしゃらなかったのでしょう」と結んでおられますが、私はこの場で鈴木さんと議論を始める前にご著書を読んでいますから、この「どう考えても昭和二年十一月ころのような気がしますが」という表現よりも時間的に先立って、『續 宮澤賢治素描』における「確か昭和二年十一月頃だつたと思ひます」という表現が存在したことは、承知しております。

しかし率直に申し上げて、鈴木さんがこのブログ記事に書かれた内容では、問題は解決しないでしょう?
そういう「日本語の解釈」を弄ぶだけでは、この時点で沢里が、上京見送りの時期をまだ昭和2年と考えていたか、それとも訂正して大正15年と考えていたか・・・、先日から私も何度も鈴木さんに質問した、この問題の答えを、きちんと導き出すことはできません。
この問題に答えを出すためには、昭和31年2月22日『岩手日報』掲載「宮沢賢治物語(50)」にも、昭和32年刊行『宮沢賢治物語』p.218にも書かれていた次の一文、

この上京中の手紙は、大正十五年十二月十二日の日付になつておるものです。

という重要な箇所をどうとらえるか、そこが最大のポイントになります。

ひょっとしたら鈴木さんは、10月7日22:40の書き込みにおいて「澤里は何ら自分の証言を訂正はしておりません」と断定された時点では、上の一文はあまり意識しておられなかったのかもしれません。
しかし、こうやって何度もご確認いただいた上で、この文をどう解釈するのか、そして今なお、沢里は証言を訂正していないとあくまで主張されるのか、どうかそのお答えをお聞きしたいと思います。
私の方は、鈴木さんからご質問いただいた事柄は、すべて直後の書き込みでお答えしているのですが、私は上記の質問をこれまでに3回したにもかかわらず、まだ鈴木さんにお答えいただいてません。

今回は、ぜひともお願い申し上げます。

*****************<(25)↓投稿者鈴木守/2013年10月11日 18:55>**********************
H(この時点から本名となる) 様
 今晩は。いつもお世話になっております。
 本名の件、そして今回のご回答どうもありがとうございます。
 さて、これで私も半分は安心しました。
『「その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした」における「十一月」は、沢里の言い間違いではないと、私は考えています』
とH様が仰っていたからです。
 ただし、この「十一月」についてのH様の認識をお伺いします。昭和31年の『岩手日報』に載った「宮澤賢治物語(49)」<*1>では、

『どう考えても昭和二年の十一月ころのような気がしますが、宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません。その前年の十二月十二日のころには
『上京タイピスト学校において…(略)…語る』
と、ありますから、確かこの方が本当でしょう。人の記憶ほど不確かなものはありません。その上京の目的は年譜に書いてある通りかもしれませんが、私と先生の交渉は主にセロのことについてです。
…(中略)…その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした。』

となっている、この最後の「十一月」のことを、まさかHさんは、昭和2年(間違いに気付いたので直後に訂正し)大正15年のそれの可能性もあるとは思っておりませんよね。
 少なくともこのご返事をいただいた上で、3度にも及ばせてしまいました(申し訳ございません、経なければならない段階がこちらにはございますので)ご質問に応えたいと思います。いずれ、時間が到ればこのご質問に対しては必ずお答えいたしますので、そのためにもどうぞ宜しくお願いいたします。

<*1:註> 今回の件に関する典拠は
   『宮澤賢治物語』(岩手日報社の単行本、昭和32年、著者以外の者による改竄あり)
よりは
   「宮澤賢治物語(49)」(昭和31年『岩手日報』連載)
の方が、そしてそれよりも
   『續 宮澤賢治素描』(昭和23年)
の方が、典拠としては信頼度が高いと思います。
 人間の記憶というものは時間が経てば立つほどその曖昧さが増しますし、果ては、やっていなかったことがやっていたとなることさえあるのが人間の性ですので、一般的には同一内容の証言の場合、初出の方が重視されているのではないでしょうか。だからこそ、典拠については「一次情報に立ち返れ」と私たちは口酸っぱく言われているのではないでしょうか。

*****************<(26)↓投稿者鈴木守/2013年10月11日 21:34>**********************
H 様
 済みません、前回の一部を訂正させて下さい。

誤=この最後の「十一月」のことを、まさかHさんは、昭和2年のそれの可能性もあるとは思っておりませんよね。
正=この最後の「十一月」のことを、まさかHさんは、大正15年のそれの可能性もあるとは思っておりませんよね。

以上宜しくお願いします。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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