みちのくの山野草

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1320 昭和6年≒大正2年の凶作?

2010-01-03 08:00:08 | 岩手の冷害・旱害
    <Fig.1 昭和6年7月24日付 岩手日報>

 前回触れたように、7月22日は『涼しい土用入り 平年より三度低い 漸次回復しませう』という見通しであったが残念ながら漸次回復はせず、この日が快晴ならば豊年が約束されるといわれる”土用三郎(土用に入った日から三日目)”の7月24日の記事は以下のようなものであった。
【昭和6年7月24日付 岩手日報】
 お天気はまだまだ 気温低く日照少し、雨量多い 憂慮される稲作
土用三郎になつておお天気はまだぐらついて薄ら寒くなかなか浴衣などは着られさうもない今年は何時夏が来るやら――殆ど見当がつかない、全く憂慮される天候であるが盛岡測候所もこれにはホトホト困り切つてゐる測候所の語るところによれば
 …昨今の日中平均温度は例年に比し三四度低く雨量も多く日照時は二割方少ない、それで稲作に必要な条件たる気温低く日照少なく雨量が多く稲作の発達を非常にさまたげてゐる丁度今日までの状況は大正二年の凶作にほぼ似通つてゐるので実に憂慮されてゐる

 やはり、昭和6年は大正2年の凶作の年に次第に似通って来ていたのだ。

 そして、以前報告した大正15年の旱害の場合には主に紫波・稗貫郡地方関係のものが多かったが、昭和6年の場合には次のように東磐井郡地方の記事が目立ってきているような気がする。 
【Fig.2 昭和6年7月26日付 岩手日報】

 東磐稲作状況 星郡農会技師語る
 東磐井郡の稲作状況につき星郡農会技手は語る
 ○……○天候不順で最も大切な温熱と日照の激減により生育に大なる支障を見たが六月十二三日前比較的早植のものは草丈、発根、分蘖、共に著しくよく平年より大した劣りはないが遅田植のものは分蘖に於て一株につき四五本、草丈に於て一寸四五分短かい、総じて葉色が薄く黄色を帯びて軟弱であるが親株の植付本数が多いため目下一坪当り本数に於ては大なる劣りはない様に認められる…


 一方では、この当時は食管法がなかったので天候を見ながら出廻り米に一喜一憂していたであろう次のような記事があった。 
【Fig.3 昭和6年7月28日付 岩手日報】

 本県俄然 高値を示す 二十一円台となり 農村は持米搬出もくろむ
 …
 天候回復で出廻り多く 農村に歓声湧く
天候不良から稲作が大分懸念され県下各地とも出廻り不足を見ていたが盛岡相場廿円五十銭の出来値と天候の回復で廿七日は相当の出廻りを見せ農村は湧くが如き歓声が聞かれ仲買筋も出廻り米の豊富となつたことに大いに力を得てゐる…
 それはそれとして、この見出しにあるように”天候回復”とあるから、大正2年のような凶作のもう心配はなくなったのかと思ってしまったのだが、それは糠喜びで、7月末の次の記事
【Fig.4 昭和6年7月31日付 岩手日報】

 凶作に類似した点あり 県下の稲作は不良 水稲状況を農林省に報告
農林省では各県立農事試験場に対して七月廿四日現在の水稲状況について照会を発してゐたが本県試験場では卅日県下の稲作について左の如く報告するところあつた。その内容を見ると非常に凶作に類似した点がある様に見られる…
を見る限り、やはり大正2年のときの凶作に類似した点があり稲作は不良となりそうだ。

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