みちのくの山野草

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1317 昭和6年土用の入り

2009-12-31 09:50:52 | 岩手の冷害・旱害
    <Fig.1 昭和6年7月19日付 岩手日報>

 この当時の報道には『俵米出廻』という用語が出て来ている。たとえば、このブログの先頭の記事には、次のような内容で使われている。
【昭和6年7月19日付 岩手日報】
 最近殆どない 花巻の俵米出廻 農家の売惜しみから
花巻地方の俵米出廻りは本月初旬来皆無の有りさまで米商筋も至って閑散の形ちだこれは六月中旬以降気候頗る変調で随つて本年の稲作も気づかはれてゐる関係上農家は一斉に売り惜しみの傾向があり相場は十七日四等十六円五十銭の高値を示し本年一月初旬の相場に比し約一円高である

 食糧管理法が創設されたのは昭和17年であり、この当時は米の価格や供給等を政府が管理していなかったのでこのような形で米が流通していたのだろう。
 なお、この食糧管理法も1995年には廃止されて食糧法が新たに制定、その食糧法も2004年に大幅な改正がなされて「新食糧法」となり、「米の自由化」にかなり近づいているようだ。
 したがって、懸念されるのは、このような記事が報道される日がそのうちにあるのではなかろうかということである。

 さて、昭和6年の梅雨明け、土用の入りの頃の気候はどうであったのだろうか。
【Fig.2 昭和6年7月22日付 岩手日報】

 涼しい土用入り 平年より三度低い 漸次回復しませう
二三日前のぢりぢりした日射に今度こそ盛夏だと思つたのもホンの一日丈土用の入りの今日も曇り空で何日なほるとも予測のつかぬ空模様盛岡測候所福井所長の語るところによると
 今日の土用入り一寸は薄日も射しませう未だ本当に直りません曇り勝ちの小雨模様のお天気で何時回復しぢりぢり射り出すかとんと見込みのつかん気象状態で温度は朝の観測で三度一分低く日中もこれと前後した低気温で日照時間も例年の半分二―三時間位(例年は六―七時間)のものです、然し漸次回復してくるでせう

ということで、相変わらず芳しくない。

 ところで、この当時農閑期に農家でははどのような副業をしていたのだろうか。その事を知ることが出来る次のような記事があった。
【Fig.3 昭和6年7月22日付 岩手日報】

 田植もすんで 藁工品製造奨励 県製筵連合会が
藁工品は安値に叩かれた為本県下の生産が減じ各農業倉庫とも品薄の状態であつたが愈々田植ゑが済んで農閑期にはいつた為県製筵連合会では各郡の生産者に製造を奨励することになつた殊にも著しく不足を告げてゐるのは粕建筵なので大いに製造出荷をさせこれを東海岸に供給する見込みであるが八九両月には相当数量出る模様尚連合会では製造について左の如く語つてゐる
 昨年秋の物価暴落で藁工品が随分下がつたが現在は一日平均で工賃が四十銭もとれるから農家としては此の農閑期を利用して出荷すれば旧盆まで相当の収入をあげることが出来るものと思ふ藁工品が非常に安いと云ふが他の物価と比較すると差程法外に安いとは言はれない


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