みちのくの山野草

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松田甚次郞がしたこと

2022-03-28 12:00:00 | 賢治渉猟
《ヤマルリトラノオ》(真昼岳、平成30年7月19日撮影)
もう止めませんか、嘘かもしれない賢治を子どもたちに教えることは。

 今回は、まずは、当時のベストセラー『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)を以下に少し見てみよう。
 これがその表紙であり、
【表紙『愛鄕 愛𡈽 𡈽に叫ぶ』】 

「土」は「𡈽」が使われている。
 そして、『𡈽に叫ぶ』の巻頭「一 恩師宮澤賢治先生」は次のようにして始まる。
【本文一頁】


     一 恩師宮澤賢治先生

 先生の訓へ 昭和二年三月盛岡高農を卒業して歸鄕する喜びにひたつてゐる頃、每日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝゐた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々會ふ子供に與へていつた。その日の午後、御禮と御暇乞ひに恩師宮澤賢治先生をお宅に訪問した。

 実は、賢治が下根子桜の宮澤家の別荘に移り住んだ年大正15年は、稗貫郡は旱魃で大変で、隣の紫波郡はもっと大変、紫波郡の赤石村や不動村は大旱魃で飢饉一歩手前だった。そこで、松田甚次郞は大正15年12月25日に「旱魃に苦悶する赤石村」を慰問したのだ。それは松田甚次郞の日記に、
  9.50 for 日詰 下車 役場行
  赤石村長ト面会訪問 被害状況
  及策枝国庫、縣等ヲ終ッテ
  国道ヲ沿ヒテ南日詰行 小供ニ煎餅ノ
  分配、二戸訪問慰聞 12.17
  for moriork ? ヒテ宿ヘ
  後中央入浴 図書館行 施肥 no?t
  at room play 7.5 sleep
  赤石村行ノ訪問ニ戸?戸のソノ実談の
  聞キ難キ想惨メナルモノデアリマシタ.
  人情トシテ又一農民トシテ吾々ノ進ミ
  タルモノナリ決シテ?ノタメナラザル?
  明ナルベシ 12.17 の二乗ラントテ
  余リニ走リタルノ結果足ノ環節がイタクテ
  困ツタモノデシタ
  快晴  赤石村行 大行天皇崩御

            <『大正15年 松田甚次郎日記』(『新庄ふるさと歴史センター』所蔵)>
と書かれているからも導かれる。つまり、赤石村の慰問は昭和2年の3月ではなくて、前年の大正15年12月25日のことだったと判断できる。この日は大正天皇が崩御の日だったから、多分、甚次郞は憚ってこう書いたのであろう。
 一方、甚次郞の日記には、昭和2年3月8日のこととして、次のようなことが書かれている。
 忘ルルナ今日ノ日ヨ、Rising sun ト共ニ
 reading
 9. for mr 須田 花巻町
 11.5,0 桜の宮澤賢治氏面会
 1. 戯、其他農村芸術ニツキ、
 2. 生活 其他 処世上
   unpple
 2.30. for morioka 運送店
stobu 定盛先生行
 nignt 斎藤君
 今日の喜ビヲ吾の幸福トスル 宮沢君の
 誠心ヲ吾人ハ心カラ取入ルノヲ得タ.
 実ニカクアルベキ然ルベキナルカ
 吾ハ従ツテ与スベキニ血ヲ以ツテ盡力スル
 実現ニ致ルベキハ然ルベキナリ
 おゝお郷里の方々!地学会、農藝会
 此の中心ニ吾々のなすヲ見よ.
 現代の農村生活ヲ活カスノダ
 晴 関西大地震 花巻行

            <『昭和2年 松田甚次郎日記』(『新庄ふるさと歴史センター』所蔵)> 
 つまり、この日に友人の須田と一緒に下根子桜の宮澤賢治の許を訪れていたと判断できる。
 そして、例の「小作人たれ/農村劇をやれ」というあの「訓へ」がなされたのだそうだ。そのことが、
【本文二頁~三頁】

には、
 先生は嚴かに教訓して下さつた。この訓へこそ、私には終世の信條として、一日も忘れる事の出來ぬ言葉である。先生は「君達はどんな心構へで歸鄕し、百姓をやるのか」とたづねられた。私は「學校で學んだ學術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を學校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。語をついで、「日本の農村の骨子は地主でも無く、役場、農會でもない。實に小農、小作人であつて將來ともこの形態は變らない。不在地主は無くなつても、土地が國有になつても、この原理は日本の農業としては不變の農組織である。社會の文化が進んで行くに從って、小作人が段々覺醒する。そして地位も向上する。素質も洗練される。從って土地制度も、農業政策も、その中心が小作人に向かつて來ることが、我國の歴史と現有の社會動向からして、立證できる。そして現在の小作人は、封建時代の搾取から、そのまゝ傳統的な搾取がつゞけられ、更に今日の資本主義的經濟機構の最下層にあつて、二重の搾取壓迫にあへいで居るのだ! この最下層の文化、經濟生活をしのびつゝ、國の大道を躬行し、食糧の産業資源を供給し、さらに兵力の充實に貢献して居るではないか! なんと貴く偉大な小作農民ではないか! 日夜きうきうとして、血と汗を流して、あらゆる奉公と犠牲の限りを盡くしてゐる。ところがこの小作人に、眞の理解と誠意を持つものは、一人もないのだ。皆んな卑しんで見下げて、更に見殺そうとまでしてゐるのだ。こんなことで日本の皇國が榮え續けて行けるか。日本の農村が眞の使命に邁進して行けるか。君達だつて、地主の息子然として學校で習得した事を、なかば遊び乍ら實行して他の範とする等は、もつての他の事だ。眞人間として生きるのに農業を選ぶことは宜しいが、農民として眞に生くるには、先づ眞の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過勞と更に加はる社會的經濟的壓迫を體験することが出來たら、必ず人間の眞面目が顯現される。默つて十年間、誰が何と言はうと、實行し續けてくれ。そして十年後に、宮澤が言つた事が眞理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、實行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覺の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
というように述べられている。 
 さぞかし賢治は熱く語り、甚次郎はその迫力に応えたのであろうと、二人のいわば魂のやりとりに私はいたく感動したものだ。それは、甚次郞は卒業後故里の新庄に戻り、そのとおり小作人となり、実際、農村劇を上演し続けたからなおさらに、である。
 そして、甚次郞はその実践録を『土に叫ぶ』と題して、昭和13年に羽田書店から出版、たちまちベストセラーになったのだそうだ。

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