先日、「虹のじゅもん」さんのブログの中にあるいくつかの「詩」を見ていて、「詩」はいいものだなあとあらためて感じさせられました。(形としては)何もないところから、こういう美しい作品が生まれてくることが何か不思議な気がします。そして、詩はやっぱり芸術だなあということを改めて感じさせられました。それで、詩は書けなくとも、何かちょっとしたエッセイでも書きたい気分になって、その昔、掲示板に投稿した記事を読んでいたら、「憑神」という映画を見た感想を書いた記事がありました。
それはエッセイとは関係ないのですが、この映画にこめられたメッセージが素晴らしく、詩はその作者だけでなく、人間の良さ、心情の美しさを感じさせてくれるのですが、この映画は、人生のすばらしさを教えてくれている気がします。以下は、その投稿した記事ですが、読みながら、懐かしさと共にまたこの映画を見たくなったことでした。投稿したのは2007年7月になっているので、約11年前に上映された映画ということになります。読んでいただければ幸いです。
≪映画「憑神」を見て 1 ≫
先日、「憑神」という映画を見てきましたが、面白そうな娯楽作品と思っていたら、なんと、素晴らしいメッセージが隠されていました。
幕末、俊才ではあるが運に恵まれない一人の若い武士がいました。運に恵まれない彼は人からすすめられ、気まぐれに小さな祠に神頼みをします。そして、神は神でも貧乏神に取り憑かれてしまうところから物語は始まります。貧乏神からは何とか逃れることができましたが、その貧乏神が忠告したとおり、貧乏神の次には疫病神、疫病神の次には死神に取り憑かれることになります。
死神に取り憑かれた彼は、じたばたするのをやめ、死神から逃げようともせず、潔く覚悟を決めて、死神に「早く殺せ」と言います。ところが死神は「私は死の段取りをするだけで、自ら手を下すことはない」と言います。それで、主人公はどうやって死のうかと考え始めます。そして、死と向かい合って考えているうちに、彼は「神にはできないが、人間であればこそできることがひとつだけある」ということに気がつきます。
それが、とっても感動的で素晴らしいものでした。それで、今までは運に恵まれず職にもありつけず、ぶらぶらしていただけの主人公でしたが、その、「神にもできない、人間だからこそできること」をするために立ち上がりました。
妻夫木さん、さわやかでとても格好よかったですよ。何と読むのか、名前も知らなかったのですが、いっぺんにファンになりました。もう1回見に行こうかな。なるほど、そうなんですね。「神にもできない、人間だからこそできること」が、あったんですね。人生って、そんなに素晴らしいものだったんですね。人生を再発見したようで、なんだかとてもうれしくなりました。
≪映画「憑神」を見て 2≫
『憑神』の主人公、別所彦四朗は最後には死神に取り憑かれてしまうのですが、しかし、それも元はと言えば自分がまいた種、こうなったからには逃げも隠れもせぬ、というわけで死と向き合っていました。そして、願うことはただひとつ、「どうせ死ぬなら満足できる死に方をしたい」ということでした。自分にとって満足できる死に方とは何か?彦四朗は死と向き合いつつ考える中で、「神にはできなくて、人間だからこそできることがひとつだけある」ことに、気がつきました。それは何かと言うと、およそ次のようなことでした。
「死というものがない神には、“命を懸ける”ことはできない。しかし、人間は死ぬ。死がある人間であればこそ、“命を懸ける”ということができるのだ。」
このように気づいた彦四郎は「わたしは、自分の志を遂げるために命を懸けることにした」と、死神にその胸中を語るのでした。
そして、死神、その死神というのは実はとてもかわいい女の子が演じているのですが、素晴らしい名演技を見せてくれます。そして、そのかわいい女の子の姿かたちをした死神も、そんな彦四郎が大好きになり、彦四郎のハートの中に入って、彦四郎と一体になります。そして彦四郎は神(死神)と一体になって、颯爽と志を果たしにいくのでした。
私は死神とのやり取りの中で語られた彦四郎の台詞、「死がある人間であればこそ、“命を懸ける”ということができるのだ」というのを聞いたとき、頭の中の視界がぱっーと明るくなり、人生は何て素晴らしいのだ、と大発見したようにとてもうれしい気持ちになりました。
男子と生まれたからには、誰でも「命を懸ける」ということに、大きな憧れをいだく時期があると思います。いや、誰でも本当は心のどこかで、いくつになってもそんな憧れを抱き続けているのかもしれません。でも、本当にそれを果たせる人は少なくて、多くの人にとっては、果たせぬ夢・・・・それどころか、反対に「ああ、自分はダメだ」なんて思うことの方が多いかもしれません。実は私も未だにそこから抜け出すことができず、もがいているという感じです。
しかし、彦四郎の「死がある人間であればこそ、“命を懸ける”ということができるのだ」という台詞を聞いたとき、命を懸けるかけないよりも、まず、いま、自分はそれが可能な人生を生きている、そのことが格好良く、とても素晴らしいことに思えてきました。そして、「死神なんて一つも怖くない」そんなふうに思えたことでした。
≪追記≫
ちなみにブログ「虹のじゅもん」さんの記事の中には、「海の誓い」という詩があり、わたしは特にこの詩が好きですが、その中に、
海は待っているに違いない
叶った夢の報告を
叶わなかった夢の報告を
新しく見つけた希望を
という素敵な一節がありますが、ほんとに「そうだなあ」と思い、もっと夢をもって生きていかなきゃあと思ったことでした。
突然、失礼いたします。
素晴らしいブログですね。
とても魅かれました。
この作品は、私も観たのですが、
相当疲れていた時だったせいか、、大切なメッセージを見逃していたようです。
そのような作品だったのですね!
機会があれば、もう一度、観てみたいと思いました!
ありがとうございます😃
お褒めていただきありがとうございます。
いくつになっても、褒められるとうれしいものですね。
ただ、お分かりと思いますが、みんな本などから得た知識を、
受け売りで書かせてもらっています。
映画「憑神」はわたしももう一度見たい映画ですが、
なかなかテレビで放映してくれませんね。
「死がある人間であればこそ、、命を懸けるということができるのだ」というのは、
本当に素晴らしい気づきだと、今思い返しても感心させられます。
浅田次郎という人は、ただの小説家ではないなと思いました。
それから、このセリフが出たのは、ほとんど一瞬と言っていいくらいでしたので、
たとえば画面に集中していたりすれば、聞き逃してもおかしくないと思います。
後でこの話をした時、家内も気づかなかったといっていました。
ともかく、思いがけない、うれしいコメントありがとうございました。