気の向くままに

山、花、人生を讃える

俳句の思い出

2021年02月17日 | 人生

船会社は多分どこも似たようなことをしていると思いますが、文化費が会社から支給され、その文化費で月刊誌や週刊誌を毎航海毎に購入し、それを航海中に皆で廻し読みをしていました。

 

わたしが船会社に就職して4年目、4度目の乗船の最初の航海でしたが、出港して1週間ぐらいしたときのこと、8時から12時の4時間の当直を終え、それから昼食をいただき、くつろいだ気分で自分の部屋のソファにもたれ、回覧されてきた月刊誌のページをペラペラめくり、何気なく文芸欄を読み始めました。

 

すると、その文芸欄には万葉集か、古今和歌集か覚えてませんが、「あかあかと」という形容詞が複数の歌に使われていることや、その「あかあか」とはどんな感じかということに触れ、そのあと、芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」という句が紹介され、言葉は同じ「あかあか」でも、ニュアンスが違うということが説明されていました。

 

その「あかあか」のニュアンスについてはともかく、わたしはこの芭蕉の「あかあかと日は面難(つれな)くも秋の風」を読んだというか、目に入ったというか、その瞬間に、意味も何もわからないのに、いきなり脳天をハンマーで叩かれたような衝撃を受け、真っ暗になった脳裡の中に芭蕉の横顔が見え、その芭蕉は山の斜面を黙々と歩いていました。傾きかけた秋の日差しがその横顔を照らし、その横顔は如何にも「内に激しさを秘めた」と云う感じで、赤く染まっていました。

 

ふと気が付けば、太陽から凄い気迫がほとばしり出ているのにびっくりし、心配するような感じで「芭蕉は?」と芭蕉に意識を向けると、芭蕉は少しもその気迫に負けてないで、物凄い気迫で太陽からの気迫を跳ね返していました。しかし、太陽はただ照っているだけですし、芭蕉も静かに黙々と歩いているだけです。その静かな中にも、目に見えない気迫が迸り、ぶつかり合っていて、その気迫に打たれたとき、自分の中の血流が一瞬脳裡に見えたかと思うと、今度はいきなり海の大波となって私に押し寄せてきました。あまりのことにビックリし、思わず「何事だっ!」と心の中で叫びながら前方を見ますと、エネルギーか気迫の象徴のように大波が次から次へとウワ~ン、ウワ~ンと唸りを上げ押し寄せて来ます。それは、実際に実物以上のリアルさでした。その大波に、ソファに座った上半身を前後に揺さぶられながら、私はただ茫然自失。なすすべもなく、ただ呆気にとられ、成り行きを見ているだけでした。

 

やがてその大波もおさまりましたが、私の中の血流は寄せては返す漣のように、余韻の如く、打ち震えるように、いつまでもひたひたと波打っていました。そして1ヶ月ほどは、「どうしてこんなことが起こりうるのか」と不思議でならず、「不思議だ!不思議だ!」の思いが湧くばかりでした。

 

昔から、「狐に化かされる」とか、「狸に化かされる」とかの言い伝えがありますが、私の場合は「海坊主」に化かされたのかもしれません。しかし、こんな経験をさせてもらえるなら、何回でも化かされてみたいものだと思います。

 

その2航海後だったか、俳句とは何かを知りたいと思い、せっせと俳句の本を読んでいて、芭蕉の面影を追うように、無性に秋の山に登りたくなっていました。そして、サンフランシスコ郊外の港に着いたとき、10月の始めだったと思いますが、そこから見えた200か300メートル位の低い山に、道に迷わないだろうか、予定の時間までに戻れるだろうかと心配しながら、夢中になって登ったのですが、これも記憶に残る思い出です。 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

【後記】
ややこしくなるので詳しいことは書きませんが、「不思議だ、不思議だ」と言っていたときに、時たま掲示板に貼り付けられていたカーフェリーからの「高級船員募集」との貼り紙を見て、急にカーフェリーに変わろうという思いになり、即決し、洋上から無線電話でフェリー会社へ応募しました。そして、なんなくカーフェリーに転職することができ、その半年後に婚約し、さらにはその半年後に結婚しました。
それまで、特別な事がない限り、その船会社を辞めるつもりはなかったので、まさに運命の急展開と言える出来事でもありました。

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