気の向くままに

山、花、人生を讃える

ばあちゃんは観世音菩薩

2019年03月19日 | 信仰

先日、ある誌友会(勉強会)に出かけた先で、72歳の男性から、次のような話を聞きました。

 

彼、芳夫(仮名)さんは30歳のとき、肺結核とそれに伴う湿性肋膜炎になり、絶対安静と診断され、急遽入院した。ある日、胸にたまった水を抜いてもらったとき、少し楽になったので面会室に置いてあった「光の泉」という生長の家の月刊誌を読んだ。するとその中に、「肋膜の病は家庭の悲しみの涙である」と書いてあり、自分の事のように思えて、病室にもって帰り、じっくり読むと、まさに自分と同じ境遇の人の話が載っていたとのこと。

 

芳夫さんは養子で、帰宅が遅くなったり、少しでも酒を飲んで帰ると、義母が玄関の戸を開けてくれず、家から閉め出されることがよくあったとのことで、義母を憎んでいて、その自分の心が病気の原因と分かり、さらに面会室に置いてあった『生命の実相』を読み始めた。

 

『生命の実相』には、症状は病を治すはたらきであると書いてあり、それまで喀血するたびに「まだ死にたくない」と恐怖に震えていたが、それからは何となく気持ちが落ちつき、きっとよくなると思えるようになってきた。そして、若いときに勤めていた靴屋のお客さんで生長の家の信徒がいたことを思い出し、病院を抜け出してその人を訪ねると、練成会への参加を勧められた。それで病院に外泊許可をもらって練成会に参加した。

 

練成会に参加すると、「人間は本来完全円満な神の子である」と教えられ、すっかり感激し、憎んでいた義母に対しても感謝の思いが湧いてきた。そして帰って診察してもらうと、「これだけ急速に治った人は、あなたが初めてだ」と担当医が驚き、3年はかかると云われていたのに9ヶ月で退院できた。

 

しかし、退院して義母と一緒に生活を始めると、やはりその後も、義母との葛藤は続いた。が、一方では「義母は自分を生長の家に導いてくれた観世音菩薩」と思えるようにもなり、しだいに小言を言われることも少なくなってきた。

 

そして、(いつ頃か分からないが)義母が他界する前日、次のように言ったとのこと。

「いろいろ言って悪かったね。赦してください。近くに、婿養子の放蕩が原因で財産を失った家があり、そんなふうになってはいけない、婿に舐められてはいけない、と思って強さを装っていた」とのことだったので、芳夫さんは「ばあちゃん、俺は何ともお思っとらん」と言うと、義母は声を出して泣きだし、芳夫さんも泣き、長年の心の葛藤が一瞬に氷解した、とのことでした。

 

この話を聞いて、いくら意地悪に見えても、相手には相手の思いがあるのであって、表面だけで判断してはいけないんだということをあらためて感じさせられました。また、このようにお詫びを言って旅立てるばあちゃんは、まさに芳夫さんを導く観世音菩薩様だと思ったことでした。

           

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