気の向くままに

山、花、人生を讃える

「胸が痛む」とは?

2019年06月15日 | 読書

今日は、またアジサイ寺に出かけましたが、その車での移動中に、家内がこんなことを話し始めました。

 

○昨日は寝る前に見ていたテレビ番組のせいで、なかなか寝付けなかった。その番組と云うのは、10年前にいじめが原因で自殺した中学生の、その後の家族の話だった。自殺した少年には兄がいて、そのお兄さんはは弟想いのお兄さんで、弟がそんな辛い思いをしている時にどうして気づいてやれなかったかと、そのことが悔やまれて仕方なく、それが原因で精神を患い、33歳の時にそのお兄さんも自殺してしまった。

○3番目の子は、そう云う訳で暗くなっていたその家を出たくなり、一人長崎に住むようになった。そしてキリストの教えに帰依し、教会に勤めながら、子供たちの相談相手になっている、とのこと。

○お父さんは、テレビを通じて呼びかけてだったか、何でも子供たちの相談相手になっていて、1000通もの相談の手紙がきていて、それにひとつひとつ丁寧に返事を出している。そして、ある人はその返事に救われ自殺を思いとどまったという話などが紹介されていた。

 

ざっとこんな話で、私も聞いていて胸に痛みを感じながら、以前に読んだ『親が子に語る人生論』(飯田史彦著)という本を思い出しました。

この本の著者は、学校の先生が、子供たちに、「いじめは駄目ですよ」「自殺は駄目ですよ」と教えると、子供たちは逆に、「どうして?」と素直な気持ちで聴いてくる。それに対して先生たちも、どう答えてよいかわからないとのことで、多くの先生から、子供にもわかるように説明できる手本となる本が欲しい、との要望を受けていたとのこと。その要望に真正面から応えたのが、この『親が子に語る人生論』という本でした。

 

わたしはこの本は、「いじめ問題解決」のために、もっと多くの人に読まれてよい、掛け値なしに素晴らしい内容の本と思っていますが、久しぶりにその本を開くと、その開いたところには、こんな会話が語られていました。少し長くなりますが、引用させてもらいます。(前半部分の一節から)

 

娘:ちょっと整理してみない?まず「脳」っていうのは、人間の頭部に入っている物体のことでしょ。それに対して、「心」っていうのは、少なくとも、物体としては存在してないわよね。人体解剖図の中に、「心」っていう器官や部分は、ないんだもの。

息子:そうだよ、「心」は、物体じゃないんだから、見えないんだ。つまり、」心」っていうのは、「脳」が思考する作用のことであって、「心」そのものは。どこにも存在していないんだよ。

父:大事なところに入ってきたぞ、それじゃ、「あなたを心から愛しています」と誓う時の、「心」って何なんだ?「あなたを脳から愛しています」って言われても、ぜんぜん嬉しくないよな? 

娘:やだ、嬉しくな~い!

父:それじゃ、いろんなものを考えるのは「脳」なのに、人を愛するのは、どうして「心」なんだ?

「心」が「脳」の思考作用のことを指しているんなら、人間を愛するのも「脳」の作用だろう?

娘:う~ん・・・。

父:だったら「脳」のほかに、わざわざ「心」なんて言葉を使わなくても、「あなたを脳から愛しています」って言えば、いいじゃないか。

≪中略≫

父:もう一つ聞こう。「心」が「脳」の思考作用のことを呼ぶだけのものだったら、例えば、「気の毒な人を見ると、心が痛む」なんて言わなくても、「脳」が痛むって言えばいいじゃないか。

娘:でも、脳が痛んじゃったら、頭痛になっちゃうわよ。

父:ほら、気の毒な人を見たからって、頭痛がするわけじゃないだろ?

≪中略≫

父:こういう見方もできるぞ。「心が痛む」っていう表現と同じように、「胸が痛む」なんて言い方もするよな。この場合は、「心」というのは「脳」じゃなくて、「胸」の部分を指しているんだ。でも、「胸」と言っても、臓器としての「心臓」が痛みを感じるわけじゃなくて、自分の中のどこかが「つらい」とか「悲しい」とか感じることを、「胸が痛む」って表現するわけだ。

≪中略≫

母:ねえ、さっきから聞いていて思ったんだけど、「胸」というのは、「心臓」のある部分で、人間の命を守るために、一番大切な場所でしょ?だから、「胸が痛む」っていう表現は、「私の中の、一番大切な部分が痛みを感じる」という意味なんじゃないかしら。

≪中略≫

母:だったら「心から愛しています」って言うのも、「自分の中でいちばん大切な、自分の中にある部分から、深く愛しています」って言うことを伝えようとする、特別な表現なのね。

息子:なんだか、父さんの話術にはまっちゃったような気もするけど、まあ、そういう見方もできるよな。

父:そうだろ?そうすると、つまり「心」っていうのは、自分という存在の構成要素の中で、一番大切な何かを表現する言葉なんだよ。

息子:だけど、その心も、脳が作り出す作用であることには、変わりはないよ。

父:つまり、お前の脳が生まれた時に、おまえの「心」も生まれて、おまえの脳が死んだ時には、おまえの「心」も消滅してしまう、というわけだな?

息子:そういうこと。

父:でも、どうして、そう言い切れる?

 

きりがないので、引用はこれぐらいにさせていただきます。

家内から、話を聞いてこの本を思い出し、もっとこの本が世に知られることを願いつつ書かせてもらいました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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