気の向くままに

山、花、人生を讃える

この年になって「愛」について思う

2019年08月29日 | 人生

私が入学した高校は男ばかりの全寮制だった。そして中にはいろんな上級生がいた。人生とは、恋愛とは、善とはなど議論の好きな人、「女なんて小便臭くってよ~」が口癖の人、喧嘩自慢の人、怪談話が好きな人、色々であった。怪談話など実に巧みに話す先輩もいて、今思い出しても感心させられる。

 

さて、今思い出すのは、怪談話ではなく、「恋愛論」である。まだ高校生という純情時代、恋愛と言えば、相手がたとえ病気やケガで醜くなったとしても、尚、好きでたまらないというのが、本当の恋愛であるということに異論をはさむ者はいなかった。

 

しかし、「あれから40年」ではないが、あろうことか、ひたすら家族のためにと、辛いことも乗り越えて定年まで頑張ってきた夫を、その夫が毎日家にいるようになると、それを鬱陶しいという奥さんがいるらしい。(男にとって、家庭は最も心を休めることが出来る場所と思うが。)こんな話をたびたび聞かされるが、こんな理不尽なことがあってよいものだろうか。と男の私は思う。

 

もし、自分の妻が、わたしのことをそんなふうに思っている事がわかったとしたら、「俺は今まで何のために生きてきたんだ」と世をはかなんで、自殺してしまうかもね、である。

 

スポーツのコーチや議員などの暴力、暴言の話を聞くと、自分の中にもそんな血が流れているのを知っているから、男はつくづく駄目な生き物だと思ったりもするが、家族のために辛いことも乗り越えて、定年まで頑張って働いて来た男たちが、妻からうっとうしがられているなどという話を聞くと悲しい気持ちになる。たいがいの男たちは、なんだかんだと言いながら、奥さんを愛していることを知っているから、同じ男として、一層悲しい気持ちになる。

 

そして、翻って、自分を思い、家内を思い、自分はどうかと考え、家内に多少の欠点があるからとて、そんなわずかな欠点に気を取られることなく、今までどんなにありがたかったかを思い、これからも共にいてくれることの有難さを思い、もっともっと家内にやさしく親切でなければと思ったりする。そして、この年になって「愛とは?」と、再び考えさせられたりもするのである。

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